虚構の中で静かに2人で
2004/11/27 銀座テアトルシネマ



「Mulholland Drive」
(2001年米)

監督/脚本:デヴィッド・リンチ
音楽:アンジェロ・バダラメンティ
出演:ナオミ・ワッツ 、ローラ・エレナ・ハリング


"難解"だとは聞いていましたが、此処までとは。しかし逆に言えば"難解"なのであって、けして"不可解"なつくりではないと。また製作開始当初はTVシリーズを予定していたということからも、観る人からして選んでしまう「イレイザー・ヘッド」等に代表される彼の他の作品郡に比べれば、作品自体のコンセプトもより一般受けしやすいつくりであることは明白で、そういう意味でも"不可解"ではありえないと、そう思います。


現実部分と虚構部分を明示せずに作品を構成するのがリンチの常套手段なのでそれに倣うなら前半が基本的に虚構、後半が現実と考えられる。

後半部分から読み取れる現実では、ダイアン(=虚構:ベティー)は田舎から出てきた脇役女優、カミーラ(=虚構:リタ)の愛人だったが、カミーラを映画監督と他の女に寝取られる。嫉妬に駆られるたダイアンは殺人を依頼。しかし実際に殺人が成功したことを知り、罪悪感と失意から自殺にいたる。ということ。

前半部分は虚構でダイアンとカミーラ(=虚構:リタ)の立場が社会的な立場から性生活に至るまでほぼ全てが逆転し、ダイアンが優位になっていることからこれはダイアンが罪悪感とから逃れるために自分に都合がいいように作り出したものと考えるのが一番しっくり来る。
虚構は死体を見つけたところから急展開を見せる。恐らくこの死体はダイアンのものなのであるが、見た目はカミーラのそれだ。つまりこの死体は2人の死を同時に象徴している。
死体を見つけた夜2人のベットシーンが始めて描かれるが、これは死によって2人が結ばれることを象徴していると解釈できる。その後のクラブのシーンで2人は失恋の歌を聴き、2人で泣く。このシーンは体だけではなく心の一致を暗示しているもので、この心の一致を持って虚構はその役目を終える。これは現実には得られなかったダイアンがカミーラとの心の一致、すなわち真に結ばれることを求めていたからであり、これこそが虚構が発生した原因であるからだ。
しかしこれらはダイアンが現実の失意の中で勝手に思い描いたもので所詮虚構だ。要は無理心中と一緒である。死んで得られるものなど無い。クラブのシーンでも男が言う。此処で起きることの全ては虚構だと。
しかし「お静かに」なのである。そんなくだらないことを言う必要はない。2人が一緒になれればそれでいい。

つまりこれは基本的に失恋の話が基調となっている。そしてその失恋のためにダイアンがとった殺人という行動と、それに伴う罪悪感と脅迫観念。さらに自分が夢見たがかなわなかった「ハリウッド」での成功を絡めた虚構世界が展開される。観ようによってはこれは「ハリウッド」の縮図にもなりえる。このような「愛」と「裏切」、「夢」と「失意」、「勝者」と「敗者」、これらにからむ「嫉妬」がハリウッドに当たり前のように渦巻いている。そこまで展開すると少しやりすぎの感もあるが、TVシリーズでの長期的な展開を考えればあながち行き過ぎということも無いだろう。

それにしてもリンチが人間心理を此処まで直接的に描くのも珍しいのではないかと、そんな気も。
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by nothing_but_movie | 2004-11-28 21:48 | Movie(M)
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