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エンターテイメントを撮りたければ映画を。ほしければ同じく映画を。
エンターテイメントを撮りたければ映画を。ほしければ同じく映画を。_a0008075_16283217.jpg2004/12/17 VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズ



「Shattered Glass」
(「ニュースの天才」)
(2003米)



監督・脚本:ビリー・レイ
出演:ヘイデン・クリステンセン 、ピーター・サースガード 、クロエ・セヴィニー 、スティーヴ・ザーン 、ハンク・アザリア


金曜日に急遽呼ばれた"季節行事"に申し訳程度に顔を出し、ぎりぎりで駆けつけたのがこの作品。結構前から見ようとは思っていたのですが、諸事情など重なり結局公開がそろそろ終わりそうな先週末にやっと足を運ぶことができました。

この話をストレートに見てしまえば、描かれているものは規模は違えど、日本でも毎日のように起こっている問題なわけですから、いまさら感も間々あるわけです。が、しかし改めて描かれてみるとやはり興味深いというかなんというか、所詮人間は理性や論理ではなく、慣習や、よりひらたい言葉で誤解を恐れずに書くなら思い込みの中に生きているのだなと思いました。

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てな文章を少し書き、今の今まで放っておいた、否、正確には忘れていたのですが、最近あった似非国営放送の件の事件を見てふと思い出したしだい。


人のことは知ったことではない。家はウチ。他所はヨソ。そういう言い回しがあるにもかかわらず、なぜか今の世の中はヒトサマの情報に溢れておりますが、そもそも報道とは何のためにあるのかと言うことを考えなくてはいけないと思うのです。実際に一般の人間が世間の情報をどこまで必要としているか。私が思うに、ほとんどの人は現在垂れ流されているほとんどの情報を必要としていないはず。「否、大きな電車事故のようなものは全国民に知らせ、原因の究明、再発防止策の策定を衆目監視のもとで行わせるべきダ!」とおっしゃる方もいるかもしれませんが、そんなものは大変不謹慎で失礼ですが詭弁です。ほとんどの場合事実の究明とその後の糾弾に終始し、それが一巡した頃には次のニュースが我々を魅了しており、その後の展開は極限られた方しか関わらない場合がほとんどのはずです。これがいいことか悪いことかは私は判断しませんが、現実はそうなっているのです。

つまり今日の報道はその本来の役目よりも唯単に、平穏無事、波風無く、起伏に乏しく、淡々と円環のように続く下々の日常に、稀に起きる非日常的な情報を提供することで仮想の起伏を作っているに過ぎず、つまりは映画と同様にエンターテイメントとして存在しているのです。つまり人が根源的に求める快楽を供給しているのが報道であり、そう考えれば過剰な情報量も納得できます。この考え方に倣うならば、関係各位にとっては迷惑極まりなく、重大な事なのは重々承知しておりますが、それ以外の人にとっては今回の事件も、この作品で描かれた事も何も驚くことでも重大でもなく、むしろ正常な流れであり、意識していないにせよ求めているものそのものだなと思えます。

人間の世界認識は現在はテレビやWebや新聞に大部分が支えられ、それには常に発信する側の思い込みや意図が含まれているものであり、それをある程度容認せざるを得ないのが現実。その容認できる範囲を何処までにするかについては検討しなくてはいけませんが、一方で事実か否かを判断する材料はほとんどの場合情報を受ける側には無いため、事実として知らされればそう認識してしまうわけです。件の番組に「感動した」との感想を寄せた人はまさにその思い込みや意図が作り出した虚構の世界を現実として受取ってしまった人なのです。同様なことは大小問わなければ現実にいくらでも起こりえるわけで、事実毎日起きており、すなわち誤解を恐れずにひらたく書くなら、私達は思い込みの中に生きているのです。

報道は事実の伝達という主に報道側が作ったエゴと、潜在的な民衆の"エンターテイメント"の要求に板ばさみになり病んでいる。病的な彼の描写は今の報道そのものなのです。
by nothing_but_movie | 2005-05-27 16:41 | Movie(S)
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