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作り笑いの奥に
作り笑いの奥に_a0008075_0481736.jpg2005/05/05 シネ・アミューズ イースト/ウエスト


「Whiskey」(「ウィスキー」)
(2004ウルグアイ/アルゼンチン/ドイツ/スペイン)



監督:フアン・パブロ・レベージャ、パブロ・ストール
脚本:フアン・パブロ・レベージャ、パブロ・ストール、ゴンサロ・デルガド・ガリアーナ
出演:アンドレス・パソス 、ミレージャ・パスクアル 、ホルヘ・ボラーニ 、ダニエル・エンドレール 、アナ・カッツ



小気味良いリズムを作り出しているのは何よりも朝のシーンの繰り返しによるところが非常に大きいとは思うのですが、この作品で意識されているのはやはり左右対称による"対"の強調。"対"は見方を変えれば"繰り返し"の最小単位に他ならないわけで、その"対"は作品中で非常に重要なコンセプトになっているようです。

時折、オリヴェイラを思わせる固定カメラからの比較的長いカットで意図的に作られている左右対称の構図。その対称軸となる物あるいは人はシーンによって異なりますが、"対"となるのは"男と女"、"男と男"あるいは"女と男"であり、その際に"対"になっている人間を強調しているのは言うまでも無いのですが、さらにはその中心にすえられているものもまた必然的に強調されており、これにより台詞が控えめで、そしてまた役柄の年齢に合わせたように控えめな演技、さらに見た目にも少しくたびれた感がして間違っても派手ではないこの作品が、非常に饒舌になり、観衆に彼等の心理を窺わせます。また、構図だけでなく作品全体の展開や、ストーリー自体も"対"という考え方が一貫してあり、それぞれの思い等をその"対"の構造から導けるように構成されているように思います。


この作品は工場主の男とそれにぴったり寄り添うかのように存在する女を描くことから始まります。此処で既に"対"が描かれ始めているわけですが、この"対"は"対称"。つまり同じ属性を持った2人で構成された"対"で、そしてその属性としてふさわしい言葉は"保守的"であり、"不器用"です。次に"兄弟"という"対"をこの作品は描きます。この"対"は"対照"です。つまり兄は"保守的"、"不器用"という属性で、弟は"先進的"あるいは"革新的"で"器用"あるいは"社交的"な属性という全く正反対の属性を持った構成要素で形成されている"対"です。この二つの"対"が合わさり、それぞれの"対"の構成要素が"男と女"、"男と男"、"女と男"のように不安定に交じり合うのです。これは前述の通り構図にも顕著に現れています。この様子はすなわち心の動きそのものともいえますが、これを台詞やあからさまな態度で語らせずに、回りくどく構図そのもので語らせるのは登場人物達の年相応の奥ゆかしさと恥じらいといった回りくどい感情を見事に表現しているといえるでしょう。

物語の最後は"対"の崩壊によって訪れるのですが、いたるところで"対"を強調していたこの作品が全くそれを崩壊させた状態で終わるはずも無く、恐らくは化学で言う酸化還元反応の際の電子の動きに似た結末を迎えたであろうと解釈しています。つまり、もとあった"保守的"な"対"が崩壊し、それを構成していた片割れは新たに"先進的"あるいは"革新的"な"対"の構成要素になったはずで、この展開にすることで"対"の構造が作品全体としてキレイにまとまります。例えば"対"の崩壊で残された男には相手がいませんから、いくらそれまでも繰り返しの毎日だったとはいえ、一人になればそれ以上に変化に乏しくなるのは言うまでも無く、つまりはより"保守的"あるいは"閉塞的"になったと考えることが出来ます。これに対して女のほうは自ら"革新的"、"先進的"に変貌を遂げたわけで、"対照"という"対"の構造が出来上がります。そしてまた男2人の属性が基本的に変わらなかったのに対して女の属性は変化していますからここにも"男と女"と"不変と変化"という"対"構造が出来ます。等など、あげればキリがなさそうなので後はお任せすることにします。また、視点は若干違いますが此処で言った女の逆の属性への変化は、劇中の"逆さ言葉"がその象徴であったように思います。意識せずとも言葉をひっくり返せるこの才能は彼女の願望、つまり自分の性格や生活など、自分を取り巻く環境そのものを逆にしたいという願いの現われだったのかもしれません。


繰り返しの最小単位である"対"はそのものだけでは閉塞的ですが、新たな要素が少しだけ入ることによって、それはいくらでも変化しうる。そんな印象を受ける静かでありながら情熱的な作品。劇中"ウィスキー"という言葉は作り笑いとか偽りとかそういった意味合いで用いられていて、タイトル「ウィスキー」もそのままうわべとか、偽りとかの意味合いで一般には解釈されているようです。確かに作中偽装夫婦を演じているので、そういう意味も含んでいるのでしょうが、それこそ偽りとは言わないまでも作品の本心を隠したうわべの表現に上手くごまかされているような気がします。つまりこのタイトルは熟成してなお味わい深く複雑に変化していく、飲み物としてのそれそのものを、"作り笑い"という意味の裏に表現しているような気がします。まぁいずれにしても、いろんな味わい方が出来る良い作品であることに変わりはありません。こういうよく練られた作品は非常に良いですね。
by nothing_but_movie | 2005-06-16 00:49 | Movie(W)
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