見えない存在。見れない映画。
a0008075_12425432.jpg2005/06/11 ライズX




「BUS174」(「バス174」)
(2002ブラジル)

監督:ジョゼ・パジーリャ



正直これは映画館では基本的にやってはいけない作品ですね。これには理由が二つあります。

まず一つ目は間違っても映画の体裁ではないということ。まるっきりドキュメントというかニュース映像とインタビュー映像そのまま。いくらドキュメンタリーだと分かっていても、大抵はそれなりの"映画"としての作品を求めて映画館に行くわけですからこれはある意味反則的とも言えるのでは。

2つ目はそもそも此処に描かれていることは具体的な数値やなんかには不足があるので鵜呑みにするのは非常に馬鹿のようであまり好ましくないですが、もし偽りが無かったとすればこれは映画館ではなくもっと一般の目に触れる方法で見せる必要がある気がします。そういう意味で映画館でやって満足するべきものではないように思いますね。


まぁというわけで、映画としてはどうにもいただけないのですが中身は凄い。"犯罪による自己の社会への顕在化"という視点は日本ではあまり語られないですが、この視点が適用できる犯罪は日本にも多くあり、非常に的を得ているように思います。何かといえば「親や学校が原因ダ!」あるいはさらに支離滅裂に「ゲームや漫画のせいダ!」、「イヂメのせいだ」等と比較的低く浅い視点で語られることの多い日本社会の"犯罪心理学"といわれるよく分からない学問という名の皮を被った唯の好奇心あるいは野次馬根性とはかなりの隔たりを感じます。今の犯罪抑止のためのシステムの根本にある限界をブラジルという国は体現していて、それを内部から正面を向いて映している点は非常に評価できます。だからこそこの作品は映画では無くテレビ等の所謂マス・メディアが扱い、客観的な数字等を併せてもっとじっくり多くの人が見る環境を作るべきだなと思いますね。


社会の残酷さと今のままでは解決できないシステム的な矛盾と限界、それに伴う悲劇を描いたこの作品は、今の日本では渋谷のたった一つの映画館でしか見ることが出来ない。このことは日本においても彼のような存在には誰も興味が無く、存在を直視している人間がいないということを示しているのかもしれません。つまりこの作品で語られる問題はブラジルだけでなく既に日本にも少なからずあるということで、そうであればこの作品がテレビで放送されず、映画として上映されたことはある意味必然というか、むしろ評価に値するのかもしれません。
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by nothing_but_movie | 2005-06-17 12:42 | Movie(B)
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