死後の人生は真白ではなく
a0008075_124382.jpg
2006/5/21 東劇



「Jacket」(「ジャケット」)
(2005年アメリカ)


監督:ジョン・メイバリー
出演:エイドリアン・ブロディ 、キーラ・ナイトレイ 、クリス・クリストファーソン 、ジェニファー・ジェイソン・リー 、ケリー・リンチ



ジョージ・クルーニーと、ソダーバーグが共同で設立したプロダクションらしいSection8。アカデミー賞に絡んだ作品を作ったのが要因なのか、ここのところ目にする機会の多い気がします。

で、この作品。久しぶりの東劇での鑑賞となったわけですが、作品の軸にすえられているのは、タイムスリップ。そしてそれを利用してヒロインの人生を豊かにすると言った筋書き。どっかでよく似た作品を目にしたなと思うまでもなく、ちょうど1年前にここで公開初日に鑑賞して絶賛したあの作品。つまり「バタフライエフェクト」。最後の終わり方も、若干ニュアンスが違うものの、推して知るべしといったところでしょうか。

例によって、事前情報をまったく入れないで見に行ったので、鑑賞中にはその画からソダーバーグが撮ったと勘違いしたくらい、それを意識した画作りのように感じましたが、どうなんでしょうか。それと最初の白黒の戦場のシーンは「Dr.Strangelove」、極彩色の虹彩のアップは「2001: A Space Odyssey」を想起。どうもキューブリックにも影響を受けているようです。ま、どうでもよいことですが。

「27歳の時に始めて死んだ。最初に死んだとき、そこは真白な世界だった。」と言う台詞とともに主人公が"死ぬ"ところから始まるこの作品。彼はこの事件のせいで若年性健忘症を患い、記憶が残らない状態になってしまう。この設定から「メメント」を想起するのは至極単純な連想ではありますが、メメントで中心に据えられていたこの設定はこの作品の中では中心ではなく"真白な世界"を構築する要素でしかないのです。すなわち、記憶が保持されなくなった"1度目の死"後の人生、常に冬として描写される湾岸戦争以降の人生、これこそが"真白な世界"なのです。

その真白な世界の中で効果的に用いられる"赤"は、その色から想起される"血"からつながる"死"と同時に"生"のイメージも併せ持っているようです。

"1度目の死"と言うからには2度目のそれがあるわけで、その死とは劇中の最後に訪れるものかと言えばそのとおりなのですが、実は"2度目の死"自体にはさほど意味はなく、より大切なのは「死を意識することから人生は始まる」と言うことでしょう。そういう意味であの"赤"が使用されている"引き出し"がその場所であることは間違いないでしょう。この中で彼の体は"ジャケット"のせいで自由が利かないのですが、この状態は1度目の死の描写で用いられた「頭は死んでいたが、体は生きていた」とは逆の状態であることがわかります。つまり死を意識できる、体が動かなく死んでいて、頭が生きている状態なのです。頭が死んでいたため、1度目は死を意識することができず、しかし確かに死んでいて、その後の人生は記憶にも残らないほど真白に白けた世界。しかし、2度目の死は"意識できる"状態でやってきて、ここから彼の人生は始まるわけですが、さて、それは。

「あと何時間あるの」の台詞の後は、死を意識したそれぞれに委ねられていますが、ひとつ考慮しなくてはいけないことは、季節が変わっていたと言うことでしょう。


「バタフライ」は大成功し、全国展開しましたが、2匹目のどぜうは如何に。若干一般受けしない感もありますが、完成度的には十分な作品。久しぶりに目が覚めました。
[PR]
by nothing_but_movie | 2006-05-24 01:14 | Movie(J)
<< 人が人として 安心安心 >>