米俳優マーロン・ブランド死去
昨日の記事を書いた後、なんとなくYahooニュースを見ていたら、思いもよらない記事を見つけてしまった。

先週末に「Godfather」を見たばかりなので、なんともショック。あの渋く、そしてリアリティという言葉が軽く聞こえるほどのリアルな演技が、もう二度と見れないのかと思うと、残念でならない。



彼の代表作とも言える「地獄の黙示録」と「Godfather」は、高校生くらいのときに初めてビデオで見たと思う。
正直、リアルタイムで知っていた彼は、全盛期を過ぎた渋い脇役のイメージがどうしてもあったが、その時見た、全盛期の彼の演技は本当にすごくて、圧倒的な存在感があった。

去年の東京国際映画祭で「地獄の黙示録」を、先週末「Godfather」を念願かなって、ついに映画館のスクリーンで見ることができて、改めて、マーロン・ブランドの渋さ、かっこよさに惚れ直していただけに、かなりショックだ。


<訃報>米俳優のマーロン・ブランド氏死去

 【ワシントン和田浩明】「ゴッドファーザー」「地獄の黙示録」などに出演、戦後アメリカ映画界を代表する俳優だったマーロン・ブランド氏が1日、ロサンゼルスの病院で死亡した。80歳だった。同氏の弁護士が2日、AP通信に明らかにした。

 弁護士は「同氏はプライバシーを大切にする人物だった」として死因は明らかにしていない。

 ブランド氏はアカデミー賞を2度受賞。アル・パチーノやロバート・デ・ニーロなどの後輩男優の演技スタイルにも大きな影響を与えた。

 米ネブラスカ州生まれ。ニューヨーク・ブロードウェーでエリア・カザン演出の「欲望という名の電車」に出演し俳優として注目されるようになった。

 俳優活動のかたわら、アメリカ先住民の支援活動も推進。73年には、「ゴッドファーザー」でのアカデミー賞授賞式に代理の女性を出席させ、ハリウッドのアメリカ先住民対応を批判させるなどして受賞を拒否した。

 私生活では、90年に息子が娘の友人の殺害で有罪判決を受け、娘も5年後に自殺するなど、悲劇に見舞われた。

 ◇名優という評価の一方、「ハリウッドの異端児」

 1日死去したマーロン・ブランドさんは、名優の誉れを享受する一方、ハリウッドの異端児、反逆児などと称されスターのイメージを一新した。

 1951年の「欲望という名の電車」でのスクリーン登場は、衝撃的だった。ハリウッドの伝統的な二枚目スターとは一線を画し、整った顔立ちに頑強な肉体を誇示し、その態度はふてぶてしく、尊大。絵に描いたような美男子が行儀のよく分かりやすい芝居をするのが主流だったハリウッドで、体臭を感じさせるような生々しい演技で一気に注目を集める。役の内面を探究し、なりきって演じるメソッド演技を指導するアクターズ・スタジオで学び、ブランドさんの登場で、ハリウッドのスター像は大きく変わった。

 恵まれない家庭に育ち、少年時代には非行に走ったこともあった。女優志望の姉の影響で、俳優学校に入学する。20代前半でブロードウェイの舞台に立ち、映画も監督したエリア・カザン演出の「欲望という名の電車」で評価を固め、映画に進出。「革命児サパタ」(52年)、「ジュリアス・シーザー」(53年)などに出演し、54年の「波止場」で最初のアカデミー賞を受賞する。

 その後も次々と作品に出演するが、次第にハリウッドと距離を保つようになっていく。72年「ゴッドファーザー」で2度目のアカデミー賞主演男優賞を受けた際には、「インディアンを差別している」と受け取りを拒否した。役柄と同様、ハリウッドの反逆児、孤高のイメージを強めていった。72年の「ラスト・タンゴ・イン・パリ」、さらには79年の「地獄の黙示録」で演じた、ベトナム戦争の狂気に捕らわれたカーツ大佐の鬼気迫る演技で名優の評価を揺るぎないものにした。

 晩年は肥満に悩んだり、気難しいイメージで見られたりもしたが、「白く渇いた季節」(89年)でアカデミー助演男優賞候補に挙がり、「ドンファン」(95年)、ロバート・デ・ニーロと共演した「スコア」(01年)などに出演し、演技には最後まで執念を見せていた。【勝田友巳】

 ◇映画評論家の品田雄吉さんの話

 カリスマ性のあるスターで、米国映画界での存在感は大きかった。独特のしゃべり方と内面から役になりきる演技スタイルが衝撃的だった。近年は年をとったせいもあって銀幕から退いていたが、米国映画界に埋められない穴が開いてしまった。(毎日新聞)

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by nothing_but_movie | 2004-07-04 23:14 | 雑記
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