エンターテイメントとして映る警笛
a0008075_0235.jpg2004/7/4
恵比寿ガーデンシネマ

「ヴェロニカ・ゲリン」
(2003年 アメリカ)


監督:ジョエル・シュマッカー
製作:ジェリーブラッカイマー
脚本:キャロル・ドイル、メアリー・アンガス・ドナヒュー
出演:ケイト・ブランシェット、ジェラルド・マクソーレイ


リアルに仕上がっている。その仕上がりが、逆に、普通にはありえないような設定の映画やドラマを見慣れている私などにはつまらなくも見えてしまうことも否めないが、しかし、これが実際におきたことなのだから十分にすごいか。



私はジャーナリズムとは
「客観的な事実に主観的な解釈を加えて世間に広く公開すること、そしてそれに基き行動すること」
と認識している。唯の「報道」とは"主観的な解釈を加え、行動する"点が最も異なっていると思う。

"ジャーナリズム"が"報道"と似通った目的を持っていることを考えると、より存在価値のある"ジャーナリズム"とは、多くの人に認知されたものということになる。
さらに、"解釈"を加える"ジャーナリズム"は、多くの人を感化したものほど、その存在価値が大きいといえるのではないか。

では、
作中、最も人を感化した事件は何か。
事実はどうあれ、作中では彼女の死であり、彼女が伝えていたもの、そのものでは無かったように私には映った。

つまり、
私たちはあまりににも鈍感になってしまったのでは無いか。
"死"の報道がジャーナリズムより注目されるのは、ジャーナリズムが、軽視され、正に唯のエンターテイメントとなってしまっていることの象徴ではないか。

「子供の、麻薬による"死"について問題提起するが、それにはさほど関心を示さず、彼女の"死"があってはじめて問題として認知する」ということは、
「世間に不倫カップルが多くいても"モラル"の問題を提起しようと思わないが、大統領が不倫をすれば"モラル"を語ってみる気になる」
ということと、正に同じレベルではないか。つまり前述のとおりである。

こうなってしまった原因は多々あるだろう。
彼女の夫が望んだ、当たり前の気持ちですら、原因と言えなくも無いが、その気持ちを否定しようとは全く思わない。
しかしながら、この作品が、客観的な事実に主観的な解釈を加えてあるとすれば、感化された結果としてとるべき行動は、彼女のとった行動、つまりジャーナリズムである。
いやそこまでは及ばなくても、少しでもそれに近づき、そしてそういう人が多かったなら、この作品も彼女の人生も異なったものになっていたに違いない。

彼女の死こそ、警笛である。
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by nothing_but_movie | 2004-07-08 00:03 | Movie(V)
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