交差する存在
a0008075_05235.jpg2004/7/10 ヴァージンシネマズ六本木ヒルズ
邦題:「スパイダーマン2」
監督:サム・ライミ
製作総指揮・原作:スタン・リー
出演:トビー・マグワイア、キルスティン・ダンスト、アルフレッド・モリーナ



彼にとってあのコスチュームこそスパイダーマンそのものであり、だからスパイダーマンとしての人生を捨てることは、コスチュームを捨てるという行為によって、いとも簡単に達成されてしまうのである。
それは逆説的に考えるなら、あれを身に着けていない限り、彼はスパイダーマンではないということになるだろう。

しかし、当たり前だが、コスチュームを捨てたところで、あの能力が消えるわけではなく、つまり、コスチュームの存在など、彼の心理的なよりどころ以外の何物でもないということである。
このことは、あの電車を停めるシーンで体現され、立証される。

つまりこのシーンはパラダイム転換点となっているのである。彼がそれまで誰に言われること無く、自らに課していたルールが崩壊する正にその瞬間であり、彼と彼女が最終的にこの劇中で形成する関係を予言するものである。

このシーンで彼は覆面をつけていない。つまりスパイダーマンではなく、ピーターである。ところが、その体を電車の前面に固定しているのは、スパイダーマンが繰り出した糸である。
つまり、この姿はピーターがスパイダーマンの能力によって制限され、恋愛すら自由にできず苦しんでいる状態の完全なメタファーとなっているのである。

停車後、乗客によって助けられた彼は、その正体を乗客にさらす。この瞬間、ピーターとスパイダーマンはその存在が完全に融合する。
乗客がスパイダーマンの正体がピーターだと認識することにより、ピーターとスパイダーマンのベクトルは初めて接点を持ち、そして融合したのだ。
言い方を変えれば、ピーターという欠点だらけの人間が、より進化したことを意味する。

また、本質的に、彼の中でもスパイダーマンとピーターの区別がなくなる。つまり「スパイダーマンだから…」という言い訳の消滅を意味している。だからこそ、あのラストもハリウッドにありがちな、安易な安っぽいラストではなく、なるべくしてなったラストと見ることができるのではないか。

今回はどちらかというと、ピーターとしての面に焦点が当てられていた。
2つのベクトルの加算は1つのベクトルをつくるように、今回のことは当然スパイダーマンの存在にも影響を与えているはずで、それが今後どのように描かれていくのか。
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by nothing_but_movie | 2004-07-20 00:53 | Movie(S)
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