2004年 07月 10日 ( 1 )
浮き出る存在
a0008075_21229.jpg2004/7/4 新宿武蔵野館
邦題:白いカラス
原題:THE HUMAN STAIN (2003年米)
監督:ロバート・ベントン
脚本:ニコラス・メイヤー
原作:フィリップ・ロス「HUMAN STAIN」
出演:ニコール・キッドマン、アンソニー・ホプキンス、エド・ハリス、ゲイリー・シニーズ


秋までは豊かに水をたたえていた湖も、冬の今は凍りつき、真っ白に輝いている。
その上にいるエド・ハリスが白いシーツの上に浮き出た、一点の染みのように見える。

彼はベトナム戦争という冬によって、母なる水、つまり社会から拒絶された、染みである。
英雄と迎えられるべくして、愛国心からその冬に立ち向かった彼が、帰ってきたとき残っていたものは、社会との間にある厚い氷であり、心の傷である。
彼は世間との繋がりを求め、必死に氷に穴を開けるが、そこから得られるものは無い。
自分も繋がっていたい、繋がっていたことの証がほしい。それらが得られないのであれば、死にたいと彼は思っていたに違いない。

ゲイリー・シニーズがここのことを本に書いて良いかと尋ねたとき、なぜエド・ハリスは良いと応えたのか。
それは、氷の上にいつまでも一人でいる、自分の存在に気付いてほしいという、あまりにも淡い願いからなのかもしれない

結局、だからこそ彼は彼等を恨んだのだ。
人との繋がりを回復した彼等への嫉妬がそうさせたのだ。


Sexが人と人との交流を、そして人が社会を作る理由と考えれば、この映画にその場面が不要とも思えるほど出てくるのは至極当然で、なぜなら理由は様々にせよ彼等はみな一様に社会から隔絶しており、そんな彼等にとってソレは普通以上に意味のある行為であってもおかしくない。ましてや年齢により不能になったはずの彼がその手段を得ればさらに価値は増すはずである。
それにしても、あの老いたアンソニーのその体は、あまりに衆目に耐えない印象を受ける。いや、だからこそあまりに象徴的ですらある。

つまり、社会の既存のヒエラルキーを無視するがために、自分の出生を偽った彼にとって、肉体とは正に偽りそのものであり、そんな体に何の意味があろうか。
ましてや彼が真に求めていたのは、肉体的な特徴に左右されるものではない、精神的な繋がりであるならば、その体がいかに醜かろうが何の支障も無いのだ。
そしてそれは養父に体を求められた二コールとて同じ。
彼女の肉体こそ、彼女の悲劇を招いたそのものであり、アンソニーのように偽ることはできないが、否定したいものであることは確かである。


ゲイリー・シニーズこそ、彼らの中で異質である。なぜなら、他の者は社会との精神的な繋がりをどこかで求めていたが、彼だけは社会との精神的な繋がりを拒否していたのだ。
つまり、自分の築き上げた名誉を貶められることに憤り、社会に背を向けたのである。
つまりアキレスと通じる。
だからこそ、アキレスがその力によって、ヒエラルキーを突き崩そうとしたように、彼もまたその筆によって社会のヒエラルキーに一石を投じるのだ。
その一石とはつまり「Human Stain」である。

それは、心地よいシーツの上に孤独のまま取り残されてしまった人々を中心に描きながら、社会の不条理を描く。
人種差別をし、当時は英雄として送り出した人を時代が変われば虐げ、何もしていない女を卑下する。他と同じでない部分を持つ人を蔑み自分のヒエラルキーを維持しようとする社会。
そんなヒエラルキーを創り出したのは間違っても少数派の彼等ではなく、大統領の不倫には感化され、モラルを語ってみせるが、身近のそれには無関心な、つまり表面を唯なぞっているだけの社会であり、そこに属する大部分の人である。
つまり、白いカラスを作り出す原因は社会であり、社会は自分に降りかかる火の粉を何とか避けようと、白い皮をかぶったカラスの集団である。
そこでは同じ色になりきれなかった人は、染みのように浮き出てしまう。

白い皮をかぶる行為は、なじめるはずも無いが、他に行き場が無いので、自ら檻の中に戻ってきたカラスと同じなのだ。
その状態は、周囲から守られはするが、代わりに自由を奪われているのであり、そんな状態で生き続けるよりも、心でつながった2人で死ぬことのほうがよっぽど幸せなのかも知れない。


梅雨の時期だというのに嘘のように晴れて、暑い日が続いている今年。
正にそれは全くの嘘で、本当は凍てついた湖であるような、そんな気がした。
[PR]
by nothing_but_movie | 2004-07-10 02:10 | Movie(H)