2004年 12月 01日 ( 1 )
わずかな貢献も犠牲にせず
「それにしても早くも12月・・・」このような台詞を書いたBlogが本日いくつあったことか。そんなことがふと気になったりしたのも、たぶんにもれず私も今日そんなことを思ったからで、さらに取り立てて書くネタもないのでとりあえずこの台詞で始めてみようなんて、安直に思ってみたりしたからなのです。しかし、書いてみてからこれはあまりに安直と思い直し、少しひねってみようなんて考えたのですが、こんな安直なものをひねれるはずも無く、結局"「」"をつけただけのこのような書き出しに落ち着いたわけです。まぁしかし、よく考えてみればいつもの投稿からして安直でひねりの無いものがほとんどですから、このような平凡なものを書いても実際は一向に構わないわけですね。否、そもそも、これは私にとって"日記"であり、また記憶の補助という役目を負っている、本来的には"日誌"に近い存在のもののはずですから、一向に構わないどころか全く必要とされていないわけです。そんなことを言いつつも最近のここは"日誌"という役目すら果たせないような荒れ果てた状態。何をいつ観て何を考えたかなんてことは探すのもめんどくさいぐらいに散在してしまっているわけで、これでは書かなくても同じではないかと思ったりも。そんな状態を是正するがために設置を考えた"一覧"は、カテゴリを作ってみたもののそれ以降の作業は全く進んでおらず、余計なカテゴリが増えただけで傍から見ればひどく迷惑な状態で放置されております。何とか今年中にはなんとかしてしまわないと2度とさわらなそうなので、いつだか自分に言い聞かせたように"空元気"で自分を励ましつつ、近いうちに片付けてしまうことにします。ただし、この"片付けてしまう"が設置することを意図しているのか、設置しないことを意図しているのかは私にもわかりません。

それにしてもどうせ忘れてしまうことなら書き留めておく"価値"はどこにあるのか。つまり、私が過去の文章を読み返しても、"書いたこと"すら全く思い出せない場合、それは他人が書いたものと変わらないわけで、それなら仮にも"貴重"とされる時間を私がわざわざ費やしてまで書き留めておくことは、私にとって全く"意味"が無いのではなんて考えてしまうわけです。否、別に私の時間が"貴重"で他人様のそれが"貴重でない"などというつもりは全く無く、むしろその逆なのです。つまり、実際私の直筆の文字が並んでいるわけではなく、誰が書いても全く同じ文字で表されるこの文章が私のものであると確信を得るためには、少なくともその文章を"書いたこと"を思い出さなくてはいけないわけで、それが無理であればそれはもう私の文章という確証が無く、従って他人様のそれといっても誰も文句を言わないわけです。ここで視点を他人様に移すなら、これは他人様の"貴重"な時間を費やさないために私が"貴重"な時間を費やして代筆しているということも過言ではなく、つまり私の"貴重"な時間よりも他人様のそれの方が"貴重"であるからこそ私が書いているということになります。だとするなら、ここの文章はくだらなければくだらないほど、価値が無ければ無いほど、他人様の"貴重"な時間を費やさずに私が書く"価値"があるというものです。つまり、一般に有用な情報を書くからこそ"意味"があるこのような"日誌"も、この場合はむしろ不要な情報であるほど、より他人様に貢献できるという点で"価値"があるわけです。よって、今日のような全くひねりも無く、ただ書き始められたような文章は最も歓迎すべきものなのです。まぁ、いずれにしても私にとっての"意味"が無いことに変わりありませんが。

さてこんなばかで、無理やりにもほどがあるほど適当にひねった話はここで止めることにしますが、このばかな話の中にもわずかに1点だけかろうじて着目に値するような発想があるとするなら、一般に自己と他人の決定的な違いとされる"自我"すなわち"脳ミソ"の違いは、自己と他者を区別する決定的なものではないということです。これについて詳しく書くのはひどく面倒で、しかも書いてしまうと、いつもの駄文よりもわずかにではありますが、他人様への貢献を犠牲にする恐れが雀の涙ほどあるため、今日はここで止めることにします。
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by nothing_but_movie | 2004-12-01 22:53 | 雑記