2005年 09月 01日 ( 1 )
水面の下の意識
a0008075_22435098.jpg2005/6/25 シネクイント



「Open Water」(「オープン・ウォーター」)
(2003年アメリカ)


監督・脚本:クリス・ケンティス
出演:ブランチャード・ライアン、ダニエル・トラヴィス、ソウル・スタイン、エステル・ラウ、マイケル・E・ウィリアムソン




家族連れできていた何処ぞのオジサンが帰りのエレベーターでやたらでかい声で「船からはぐれたらまずボンベを捨てて、スーツに空気を入れて仰向けになって浮かぶんだ。だから最後にボンベを捨てたあの映画はおかしい。」と家族に自慢気に言うと。「お父さんよくそんな事知っているねー」と娘。母親はその横で微笑んでいて、典型的な"幸せな家族"だなぁなんて思ったり。で、その典型的な"幸せな家族"を支えているだろう"幸せな"父親の言った事を、あのような状況に陥るようなこと自体やらない私ですが、念のため覚えておこうかなと思いました。非常に有意義な知識ですからね。

てのは半分は実話、半分は皮肉(「あのような状況に…」あたりから)なのですが、このような自分が常に価値のある人間であり、誰かから常にかまわれていないと気のすまないような性質の"幸せな"オジサンにとって、これは唯の海難事故にしか見えなかったことでしょう。しかし、この作品で描いているものは携帯やネットで常に誰かと繋がっていないと不安になってしまうような現代人の潜在的なそれ。常に家族に囲まれていないと不安になるオジサンのそれ。つまりは自分が誰からも注目されないどころか、存在すら認識されない、そういう孤立や孤独に対して、現代人が潜在的に持つ恐怖について描いたものでしょう。つまりこの作品におけるカメラは、普段意識しない潜在的な意識に焦点を当てていたわけで、表面的な"正しさ"などは何も語っていないに等しいのです。

誰からも省みられることなく、忘れ去られ死んでいくという事故は、しばしば現実に起きており、現代であれば誰もが持っている"潜在的な恐怖"でありながら、あまり語られないのは、その存在自体が意識の中で"忘れられている"がため。忘れられた時点でこの"潜在的な恐怖"は"無い"ものになってしまっているのです。エンドロール時に、カメラを腹の中から見つけた男が、そのことが示す事態に思いが巡らず、嬉々として会話を続ける姿は、この作品の"潜在的な恐怖"がいかに人の頭の中で"無い"ことにされているかを良く現しています。このように人の意識の中で"無い"とされているものは、"無い"のですから基本的に思いが及ぶはずも無く、当然映画にもなりにくい訳ですが、しかしながら本作は、それを見事な着想と、想像力のもと、映像に転化することに成功しているのです。

人の潜在意識はよく水面下の氷山の隠れた部分とか言われますが、この映画の中盤以降ではそれが非常に意識された映像になっていて、つまりそのまま海面より上が意識の世界、下が潜在意識の世界。そしてまた海面より上がわれわれが普段生活しているあたりまえの日常だったり、文明。それに対して下がそれと対極の非日常の世界であり、文明とは間逆の、大昔に進化を止めたサメがいる世界だったりするのです。その設定を律儀に守る恐怖の象徴であるサメは、スピルバーグのそれのようにことさら接近を強調(あの有名な音楽など)したりせず、あくまで水面下を泳ぎ、間違っても海面にザバとは上がってこないのです。同じ視点で見ると、最後に女が水面下へ姿を消すシーンは、潜在意識にある恐怖に飲み込まれたことを現していることになり、サメに食われたことを現したわけではないのです(もしそうであれば俯瞰ではないはずです)。つまり、この作品の主題である"潜在的な恐怖"である、意識上から見えなくなること、つまり"忘れられる"ことを映像的に表現しているのです。

実際にこのような状況に陥った場合、どのように対処するべきかは興味も無いですし、そもそも私には必要がありませんから置いておくとして、劇中の彼らが最後まで、重たいボンベを持っているのに、遭難早々にバラストを捨てたという行為の矛盾は、それらのモノの属性を考えればわかる話。つまりボンベは浮かぶための空気が詰まっているものであり、また、文明とは無縁の海上において唯一文明を感じ、そこへの回帰を予感させるものであるのに対して、バラストは海へ沈むためのもの、つまり潜在意識の中の恐怖へ彼らを引きずり込むものであって、文明への回帰を切望する彼らにとっては正反対のものであったりするからなのです。従って、彼等は最初にバラストを、最後に諦めから、文明との接点であるボンベを捨てるわけで、これは完全な映画的表現。間違っても重さの問題ではないのです。

彼らは最終的には恐怖の象徴であるサメの腹の中に納まり、文字通り恐怖に飲まれるという結末を迎えるのですが、エンドロールではそのサメの腹の中から"カメラ"が出てきます。恐らくこれは"潜在的な恐怖"を写したこの"映画"の象徴だったりします。しかし、その"カメラ"を見つけた男は嬉々としているだけで全く恐怖しない。これは前述のように"潜在的な恐怖"を忘れていてこの事実の裏に隠れている簡単な事件に意識が及んでいないことを示しているのですが、今思えば、このことはまるでこの"映画"を見ても全くその恐怖の本質を理解していないエレベーターのオジサンの反応を予見したものとも言えて、上手いまとめ方だなと感心。

とりあえずサンダンス受けするつくりなのは確かで、今年見ておくべき作品。と、言いつつもとっくの昔に東京のスクリーンからは姿を消してしまっていたり。それ以外の地域ではまだやっているような気がしますので、良ければ。と、此処までネタバレさせた後で言ってみたり。


ビールで丹精こめて作り上げられたその腹は、スーツに空気なんか入れなくても、十分海に浮きますよ。
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by nothing_but_movie | 2005-09-01 23:20 | Movie(O)