カテゴリ:Movie(D)( 7 )
彼はきっかけに過ぎず
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「Da Vinci Code,The」(「ダ・ヴィンチコード」)


(2006年米)
監督:ロン・ハワード
出演:トム・ハンクス 、オドレイ・トトゥ 、イアン・マッケラン 、アルフレッド・モリナ 、ジャン・レノ


欧米で絶対視されてきたキリストの神性を否定するかのようなこの作品。製作段階から、著作権やら不買運動やら、カンヌでは冷笑やら一転喝采やら、何かと話題には欠きませんでしたが蓋をあけてみれば、凡作の域を出ない仕上がり。まぁ期待していなかっただけましですが、なんとも陳腐と言うか駆け足と言うか。原作はしっかりしているのでしょうが、映画の枠にはどうにも収まりきらなかったようです。まぁ原作は読んだことがないのですが。

それにしてもタイトルにも名を馳せる彼は最後のほうには全く出てこず、ルーヴルの宣伝のような終わり方をするこの作品は、世間一般ではどのように受け入れられているのか、甚だアレです。
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by nothing_but_movie | 2006-05-24 01:44 | Movie(D)
正しい家族の崩壊の仕方
a0008075_0341266.jpg2005/06/05 シネクイント


「Dead End」(「-less[レス]」)
(2003フランス/アメリカ)


監督・脚本:ジャン=バティスト・アンドレア、ファブリス・カネパ
出演:レイ・ワイズ 、リン・シェイ 、アレクサンドラ・ホールデン 、ミック・ケイン 、ビリー・アッシャー



珍しく気を使ったりするのですが、この作品はオチがわかってしまうと見る気すら起きないくらい古典的な作品で、さらに中盤に若干もたつきもありますが、しかしながらホラーとしては要点をつかんでいて、典型的であるがゆえに見ていて疲れず、また先が読める楽しさというか、あまりにもあえて狙ったとしか言いようの無いべたべたな展開に笑いが漏れ、これまたありがちで使い古されたウィットが作品後半を軽いノリに仕上げており、非常に面白い作品になっていると思いますので未見の方はこの文以降は読まずにぜひ劇場へ。


さて、ナンセンスホラーと一口で言ってしまえばそれまでですが、まぁあれです。ホラーとして見るとかなり控えめなこの作品は比較的万人受けする出来ではないかとも思うのですが、だからこそテレビやなんかでも嫌というほど使い古されたこのてのオチはあえて狙ったとしか言いようがないですね。そんなわけでフザケタ作品ですので必見かと言えばそうでもないような気もしますが、この作品がかもし出すウィットな感覚は非常に好きで、恐らくテレビやなんかでまた見る機会があれば見てしまうだろうなと思っています。


"幸せ"というありもしないものを目指して生きる家族という共同体は崩壊が常である。そんなメッセージが聞こえてきそうなこの作品はある家族の家族史に読み替えると面白い。末っ子はバカでお気楽。薬とマンソンにはまる少し古いかもしれませんが比較的今時で典型的なガキンチョは親の見えないところで、自業自得ともいえる死を迎える。表面的には中むつまじい夫婦も実はお互いに秘密を持っていて、母親は結婚初期に浮気を。それに続くように父親も同様。そんな夫婦は崩壊するのが常。たいていはダメな男から女が逃げる訳です。まぁ女のほうも逃げれば幸せになれるかといえばそうでもないのですが。父親は、"厳格で強い父でありたい"みたいな今時滑稽な思いを持っているようで、最後までその役目を全うするべく意気込みますが、そんなやる気も空回りで、まずはアル中に。これではだめだと違う道を模索するもそんなものはいまさらあるはずも無くもとの道に戻ってくる。最後は白内障になったり、足が不自由になったり散々。良き父親になれなかった男の願いは、少年に退行するか良い爺さんになるくらいしか一般に残っていないのですが、そんな些細な願いもかなわず狂って最後は銃を片手に死地へ赴く。哀れですが憎めない男です。精神科医を目指していて一番まともに見える娘も、子供を身篭っていながら男と別れてシングルマザーになる気満々。一番身勝手でよく分からないキャラなんじゃないかという気もしますが、そんな願いが聞き入れられてか、相手の男はさっさと死んでくれて一件落着。今の世の中は女性がとにかく強い。本気になれば男なんて全くといっていいほど無視して、現実を望みどおりの方向へ変えてしまうといった強さを感じさせます。

といった感じの話しが劇中で展開されるのですが、まぁつまり、別にホラーでなくても実際にありそうなこんな話をホラーにしてしまうこと自体が既にウィット。つまり現実はホラー並みに狂っていて恐ろしいものですよというニュアンスが小気味良い面白さを感じさせます。また、実際には違うようですが、全ての出来事はまともにみえる娘が潜在的に持っていた家族への狂ったイメージとも取れなくも無いところがまた良い。


間違っても名作ではないですし、どう間違ってもイマドキ流行りませんが、つぼを押さえた良い作品で、7、80年代のホラー映画を小ばかにしつつもそれらへの深い愛情を感じさせる作品です。馬鹿馬鹿しくもないがしろに出来ないB級映画として今後何かと話題にしそうです。



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ああ、なるほど。確かに少しこじんまりしてはいますが「マルホランド・ドライブ」ですね。
Buzz++
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by nothing_but_movie | 2005-06-15 00:43 | Movie(D)
神の業と人の業
a0008075_16503695.jpg2005/5/21,22ユーロスペース


「DEKALOG」(「デカローグ」)
(1988ポーランド)


監督:クシシュトフ・キェシロフスキ
脚本:クシシュトフ・キェシロフスキ/クシシュトフ・ピエシェヴィッチ
出演:クリスティナ・ヤンダ/ダニエル・オルブリフスキー/ズビグニエフ・ザマホフスキー


敬愛するキューブリックがそう言ったのであれば。そんな思いで昨年アップリンクで購入した「デカローグ」のDVD。1、2話で圧倒され、3、4話で考えさせられ、5、6で引き込まれ、7、8話で悲観にくれ、9、10話で希望を見つける、そんな感じの連作。もともとはポーランドのテレビ映画として製作されその後世界で公開され、キューブリックをはじめさまざまな人へ影響を与えた名作。いつかは見れると思っていましたが、まさかこんなにも早くスクリーンで見れるとは思ってもいませんでした。

と、言いつつも、恐れ多くも10話をそれぞれ短評の形でレビューしたりして。と言うのも1時間と言う枠に収めたがため各話の密度、完成度はともに非常に高く、それでいて不足が無いわけですから、正直圧倒されて言葉も出ないのですよ。神が創ったのがバイブルであるならば、これは人が作ったそれ。神業的な完成度を誇るこの作品はある意味財産として私の中に残ることでしょう。



第1話 「ある運命に関する物語」
「Thou shalt have no other gods before Me」
(あなたは私の他になにものをも神としてはならない)

科学信仰による神の存在の否定による、逆説的な神の肯定。


第2話 「ある選択に関する物語」
「Thou shalt not take the name of the Lord thy God in vain」
(あなたはあなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない)

コップの淀んだ液体から這い出す蜂を描いたシーンから続く一連のシークエンスは特に見事。因果応報、神への信頼。


第3話 「あるクリスマス・イブに関する物語」
「Honor the Sabbath」
(安息日を覚えてこれを聖とせよ)

孤独を感じる夜に、温もりを求めるための些細な嘘と、最後に訪れる真実の告白。人間の弱さと寛大さ。これらのコントラストの妙。


第4話 「ある父と娘に関する物語」
「Honor thy father and mother」
(あなたの父と母を敬え)

母の不在と、娘が持つ父への絶対的な信頼による幼いがゆえの同調と父の迷いによるエレクトラ・コンプレックスの再現。エレクトラ・コンプレックスは一般に"娘"が持つものだが、作品中の父の真意、娘の思いを深読みするとキシェロフスキーはその定説に異を唱えているように見える。非常に興味深い。


第5話 「ある殺人に関する物語」
「Thou shalt not kill」
(あなたはなにものをも殺してはならない)

人が抱えた矛盾。原罪以上に罪深く愚かしい人への警鐘。スコセッシの「タクシードライバー」、フォントリアーの「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を想起する。


第6話 「ある愛に関する物語」
「Thou shalt not commit adultery」
(あなたは姦淫してはならない)

大人の世界への憧れと恐れを覗きという行為にたとえる。落ち着きつつも、短い青春。少年から青年への成長。


第7話 「ある告白に関する物語」
「Thou shalt not steal」
(あなたは盗みをしてはならない)

一時的な欲を満たしたがための、永遠の後悔と不幸。利己的な人間の一面を無垢な子供を対照として描く。


第8話 「ある過去に関する物語」
「Thou shalt not bear false witness」
(あなたは隣人について、偽証してはならない)

贖罪的な日常生活の裏にある、罪悪感から生まれる潜在的な脅迫観念を描く。


第9話 「ある孤独に関する物語」
「Thou shalt not covet thy neighbor's wife」
(あなたは他人の妻を取ってはならない)

劣等感とそれに抵抗するかのように現れる一種の退行。些細な劣等感からくる捻じれた愛情と、一時の気の迷い、別れ、邂逅を描く。


第10話 「ある希望に関する物語」
「Thou shalt not covet thy neighbor's goods」
(あなたは隣人の家をむさぼってはならない)

歌が全てを物語る。些細なものへの愛。全ての愚かしさの肯定。人間の愚かしくも愛すべき日常。
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by nothing_but_movie | 2005-05-25 16:54 | Movie(D)
青のグラデーション
2004/7/17 ヴァージンシネマ六本木ヒルズ
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「ディープブルー」
(2003英・独)

監督・脚本:アラステア・フォザーギル、アンディ・バイヤット
音楽:ジョージ・フェントン
演奏:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
製作:BBCワールドワイド、グリーンライト・メディア


ひたすら海を映している。だからひたすら青い。たまに白い。まれに黒い。結論としてかなり心地よく、上映時間のせいもあってかかなり眠くなった。

映像としてはかなりきれいで、よく撮れたなーって感じのシーンが惜しみなく出てくる。作った人尊敬。
DVDとか買って家で暇なときにボーっと眺めるのには最適だ。
既にBBC Videoより発売されている、4枚組のDVD、「The Blue Planet - Seas of Life Collector's Set (Parts 1-4)」が元ネタとなっているらしいです。


それにしても、捕食者からいっせいに逃げる魚の群れが、水面から射す光に、絶えず変化するみごとな青と黒のグラデーションを描くあのシーンは、この作品屈指の名場面だろう。
まさにバックに流れるオーケストラのごとく、個々が1つの集団としての美を形成している。

しかし、その実は生死の駆け引きのまさに最中であり、そんなシーンに美しさを感じてしまうのは、人の平和ボケした感覚のなせる業か。それとも人が人たる所業か。



それにしても来る度に思うのだけど、ここは映画館としての環境は最高だけど、そこに来る人の質は他に比べて明らかに・・・で、何時もいらいらさせられる。
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by nothing_but_movie | 2004-07-22 22:58 | Movie(D)
犬が群がる映画 (「ドッグ・ヴィル」)
a0008075_13748.jpg2004/03/28(シネマライズ)
邦題:ドッグヴィル(2003 丁抹「dog vill)
監督:ラース・フォン・トリアー
製作:ヴィベケ・ウィデロフ
脚本:ラース・フォン・トリアー
出演:ニコール・キッドマン/ローレン・バコール


ラース・フォン・トリアー監督は好きです。彼の作品をはじめて観たのは、大学生の頃。バイト中に、レンタルビデオ店でレンタル落ちの「キングダム」を買ってきたのがきっかけ。
その頃私は、全盛期を迎えていた、80年代ホラー映画。にはまっていて、10本か20本ほど、ホラーのビデオばかりを買ってきたのだけど、その中に「キングダム」1章と2章があった。

このキングダムがまた秀作で、なんとも癖になった。
ちなみに独特の手持ちカメラのブレと、独特の編集はこの時から既にこの監督の持ち味のようです(ほとんどが編集とか撮影を担当した人の味なんだろうけど)。
この映画(元々はデンマークのTVシリーズです)は何がすごいかというと、ホラーにありがちな「善⇔悪」の対立が無く、「悪⇔悪」の対立になっていて、しかも専らこの対立は、人と人の間で繰り広げられるところ。
彼の原点が凝縮されたこの作品を、まだ見たことの無い方はぜひ観てみてください。
今まで完結していなかったのですが、7月にコンプリートボックスなるものが、出るようです。買いですね。

さて、本題。「Dogvill」。この作品は至極単純。ラース作品はこねくり回しても結局テーマは単純。しかし彼のすごさは、その単純なテーマを嫌というほど見せつけることだろう。
今回、この作品でテーマとなっていたのは、人間の「醜さ」というか「利己主義」というか、最後のニコールとその父親との台詞からとるなら、「傲慢」をテーマに、生焼けのグロテスクな料理をこれでもかと出しまくる。

本質的には資本主義的が根底にあると考えるとわかりやすい気がする。
つまり、ニコール・キッドマン扮するグレースは村にかくまって貰う事と引換えに「労働」と、後半からは「性」をも提供する。グレースはこれらを提供しない限り、村から出て行く、すなわち、村に存在してはいけなかった。この考え方をそのまま村に適用すると、最後に村が全滅するのは、「かくまう」という存在意義つまり、労働や性への「対価」を無くした村にとって、あたりまえの顛末ということになる。

さらに、資本主義の特徴として、力を持つものが有利な立場を築けるということがある。すなわち、物語大半において、村人がグレースに対して有利な立場に立っており、村に居たかったら、対価を提供することを求めることが出来たが、逆に、最後にグレースが父親と同じ権限をもつようになるや力関係が逆転し、対価を提供することの出来ない村を消滅させる。

これらは、資本主義の社会では日常的に繰り広げられている情景ではある。モノがほしければ働き、価値を提供できない会社はつぶれる。それだけのことを単に人間に置き換えているに過ぎない。

もしここに、人間の本質を見るのであれば、資本主義の社会そのものが「人間の本質」を拡張したに過ぎないということが逆説的に語れるのではなかろうか。

また、資本主義とは別に、究極に閉じた民主主義をも感じさせる。閉じた空間とは「村」であり、「ギャング」である。その組織において「正しい」とされたものは、正しいと信じられる。端のことは関係ない。そういう民主主義。

ではラースは何が言いたかったのか。
曰く、「アメリカ三部作」に、この作品は含まれるらしい、また、劇中にあった独立記念日、そして最後に流れたD・ボウイの「ヤング・アメリカン」とくれば、「アメリカ」の縮図を描いている」と考えて差し支えないだろう。
そうするとこの映画から読み取れるアメリカとは、何かをしてやる代わりに搾取し、抵抗があれば無理やり従わせる。交換の究極の形としての、仕返しが、権力あるいは民主主義によって正当化され、必要なくなれば消し去り、自分に害を及ぼさないものについては、「人道的」だといわんばかりに助ける。こういうことか。

しかし、ここで終われば駄作。
この作品が、というかラースがラース足りえるのは、この「アメリカ」を見事に観客にまで落とし込んだ点。

この映画を見終わり、5割くらいの人が無言で去っていく中、残りは口々に「最後は、すっきりして良かったね」とか、「ダンサー・イン・ザ・ダークより救いがあったね」とか言っていた。
確かに、誰しもグレースに感情移入し、最後の結末には、共感できる部分が少なからずあるわけだけど、しかし要はそれがラースのねらいで、物語の最後、月が昇る瞬間までは、「村人=傲慢≠グレース=寛容」だったものが、その瞬間等式は「村人=傲慢=グレース」に変形され、グレースに共感してしまった観客もその等式の中に取り込まれ、「村人=グレース=観衆=傲慢」という等式が最終的に完成される。

犬は、グレースの「偽善的な」やさしさのため、殺されなかったと思われるが、その犬が最後に姿をあらわすのは、犬=「人間の傲慢さの象徴」と捉え、単純な皮肉と思われがちだが、確かにその意味もあるが、私はもう一つ二つ意味があると思っている。

一つ目は、周りがこの映画のセットと同じように真っ黒の壁で覆われ、必要最低限な椅子しかない、まるでこの映画のミニマムなセットのような場所にいる、観客が等式に組み込まれたこと、すなわち映画の一部となったことを、映像として表現するためのモノだったと思う。つまり、等式に組み込まれた観客の「犬」な部分が、スクリーンに実態を表したのだ。

こう考えるとますますグレースの偽善が際立ってくる。つまり、グレースに共感し、支持していた「観客」はグレースにとって「価値」があり、残しておくことの方が好ましい。だから「観客」の象徴の「犬」は殺されなかったというわけ。

二つ目の意味は、等式に組み込まれなかった観客を対象としている。
すなわち「俺はこの結末は予想できたし、グレースが正しいことをやっているとも思ってないよ。グレースも村人もお互いに許してやればいいだけじゃん」等と、この村と「異質である」と思い込んで、「寛容」を自負する観客に対して、吠えさせるためではないか。ややこしいのだが、「寛容」を自負していたグレースがはじめて村にやってきたとき、この犬に吠えられたように、「寛容」を自負し、「犬」として映画に取り込まれることを逃れた人ですら、実はすでに、映画の冒頭のグレースと同じ立場で、この物語の中に取り込まれたことを明示するためではなかったのかということ。だから犬はスクリーンの外に向かって吠えた。
この「寛容」を自負する観客が、グレースと同様、最終的に「傲慢」に身を落とすのは、この映画を見た人であれば、言うまでも無くわかることだろう。




こうすることにより、「DogVille」はスクリーンの外にまで、その集落を広げ、ラースはその中でニタニタ笑う。
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by nothing_but_movie | 2004-06-12 01:39 | Movie(D)
先行見てきた。
a0008075_214220.jpg5/29、新宿にて先行を観てきました。
あんまし期待はしていなかったんだけど、2時くらいからの回を観るため、1時間くらい前に劇場到着。
多分うんこ映画だと思うと言うと、一緒に行ったヤツは仕事かなんかで疲れていたらしく、既にチケット買って中に入ったにもかかわらず、帰ろう帰ろううるさい。
到着当初は待ってる人もほとんどいなくて、開始10分くらい前になってやっと人が集まってきた感じ。それでも開演間直には8割方席も埋まったかな。

さて、中身。
まるっきり「Independence Day」の焼き直し。あーあ。
でも、最新の学説も随所にちりばめられて、「I.D.」よりはメッセージとその訴求力はある感じ。
CGはきっちり仕上がっている。
ストーリー。典型的なパニック映画ストーリー。
典型的なパニック映画ストーリーとは以下のようなもの。
①どこかで災害の予兆が発見される
②専門家が危険を世間に知らせようとするがほぼ無視される
③災害が現実のものとなる
④多くの命が無意味に消える。CGなどのおかげで映画の予算も無駄に消える。
⑤前述の専門家が大活躍。周囲もみなおす。
⑥災害への対処方法などが見つかる!!
⑦しかし残された問題がある!!(往々にして専門家やその周囲の人に関するPVな問題)
⑧全ての問題が尊い犠牲のものと解決
⑨災害沈静化
これに今迄あなたが見た映画を当てはめると不思議なことにほとんど当てはまります。
さらにいうなら、これに沿って脚本を書いて、ちょっと有名な監督に映画を撮らせれば、ある程度はやる。
ネタとしては今迄使われていなく、そろそろおきそうな話が良い。例えばポールシフト、大陸移動、宇宙コロニー墜落、月の消滅、太陽爆発、宇宙の収縮、時間の逆転などなど。
脚本家デビューも夢ではありません。

それにしてもエメリッヒ。少しは成長しなさい。
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by nothing_but_movie | 2004-06-04 21:43 | Movie(D)
古きよき80年代。
Dawn of the dead
あー、いいなこの映像。何が良いかってこの色のコントラスト。なんか不自然にビビット。まさに80年代ホラー最盛期の頃の、ちょっと古めのフィルムのコントラストがこんな感じだった気がします。
そして、近年の映画には無い、真のスプラッタなノリが最高です。最近の映画でこういう生臭い肉体破壊の描写をしている映画ってなかなか無いかな。
80年代ホラーにはまりまくっていた私にとっては、久々にこういうノリの映画に出会えたことはホントに幸せでした。

ところが、一緒に見に行った女性には大変不評。「あんなわかりきったストーリーの映画は見たくない」だそうです。
たしかに。ストーリーは最悪です。というか、無いです。でも、思うんですが、映画ってストーリーだけで見るものじゃないでしょ?確かにストーリーは大切です。でもそれだけだったら極端な話、よく出来た小説とか、それこそ脚本だけ読んどけばいい話。
それ以外の楽しみも提供するからこそ映画なわけで、そういう意味ではこの映画は成功している部類に入ると思うのは私だけでしょうか・・・?
ストーリーを求めたら80年代ホラーは観れないぞっ!!と叱り付けたくなりましたが、「観なくて良い」と言われそうなので、やめときました。

いつに無く弁護してしまってますが、80年代ホラーを笑いながら観ていた私にはホントに好きな映画でした。
80年代ホラーを無条件に愛している方にはお勧めです。
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by nothing_but_movie | 2004-05-31 11:54 | Movie(D)