カテゴリ:Movie(V)( 2 )
シュールな村
2004/9/10 新宿東亜興行チェーン



「ヴィレッジ」
(2004米)

監督:M・ナイト・シャマラン
出演:ブライス・ダラス・ハワード、ホアキン・フェニックス、エイドリアン・ブロディ、ウィリアム・ハート、シガーニー・ウィーヴァー


シャマランの本領発揮といったところでしょうか。こんな映画は今の時代彼くらいしか撮れないのではないでしょうか。

というのも、昨今の特にアメリカの、そしてそれに色濃い影響を受けていると見受けられる韓国やそこらの映画も、やたらと話を派手にしてきますからね。「ありえない」とか「おかしい」とか、そんな気すらしてこないわけですよ。
その点彼の作品ははずば抜けて地味。地味ということがアレなら、地に足が着いているというか、いや、より正確に言うなら"日常生活に根付きつつもそれを少しだけ超越する"そんなところですね。
個人的には"シュールレアリスム"に帰属する面白さがあるのではないかと、そんな気がしています。

まあ、私はやたらとなんでも"シュール"つまり"超現実"に分類しがちでその気になれば時代劇やホラーでさえも"シュール"に分類してしまうんですがね。あ、それと最近のお笑いも"シュール"ですよね。最後のこれについては大して知りもしないのに、こんなことを言ってしまっているあたりが、"やたらとシュールに分類する"ってことの現れでしょう。

とにかくも、彼の作品は「シックスセンス」しかり、「アンブレイカブル」しかり「サイン」しかり、全てシュールです。
彼等は日常生活を送っているようみえてその実、それを"超えた存在を認知"する、あるいはそれを"超えた存在として存在"する、そしてまた、それらの中では"起き得ないことを目の当たりにする"のです。そして「ヴィレッジ」はヴィレッジの日常生活そのものが"超えた存在"であるということでしょうか。さらに、その"超えた存在"に気付き、そこから脱却する機会があるにもかかわらず"愛"そのものや"愛を失ったことによる喪失感"から、再びそれが起こるリスクを抱えつつも、それを維持することを選ぶ彼等は、まさに"シュール"以外の何者でもないというわけです。

結局のところ、そういうものを持ってしまっている人間は"シュール"に帰属するしかない。そんな気もしてしまいますね。


そうそう、自分の作り出した"シュール"な世界に毎度登場し、現実と"シュール"のひとつのつなぎ目となる、彼こそが"シュール"な存在そのものと言って差し支えないのではないのでしょうか。
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by nothing_but_movie | 2004-09-17 00:43 | Movie(V)
エンターテイメントとして映る警笛
a0008075_0235.jpg2004/7/4
恵比寿ガーデンシネマ

「ヴェロニカ・ゲリン」
(2003年 アメリカ)


監督:ジョエル・シュマッカー
製作:ジェリーブラッカイマー
脚本:キャロル・ドイル、メアリー・アンガス・ドナヒュー
出演:ケイト・ブランシェット、ジェラルド・マクソーレイ


リアルに仕上がっている。その仕上がりが、逆に、普通にはありえないような設定の映画やドラマを見慣れている私などにはつまらなくも見えてしまうことも否めないが、しかし、これが実際におきたことなのだから十分にすごいか。



私はジャーナリズムとは
「客観的な事実に主観的な解釈を加えて世間に広く公開すること、そしてそれに基き行動すること」
と認識している。唯の「報道」とは"主観的な解釈を加え、行動する"点が最も異なっていると思う。

"ジャーナリズム"が"報道"と似通った目的を持っていることを考えると、より存在価値のある"ジャーナリズム"とは、多くの人に認知されたものということになる。
さらに、"解釈"を加える"ジャーナリズム"は、多くの人を感化したものほど、その存在価値が大きいといえるのではないか。

では、
作中、最も人を感化した事件は何か。
事実はどうあれ、作中では彼女の死であり、彼女が伝えていたもの、そのものでは無かったように私には映った。

つまり、
私たちはあまりににも鈍感になってしまったのでは無いか。
"死"の報道がジャーナリズムより注目されるのは、ジャーナリズムが、軽視され、正に唯のエンターテイメントとなってしまっていることの象徴ではないか。

「子供の、麻薬による"死"について問題提起するが、それにはさほど関心を示さず、彼女の"死"があってはじめて問題として認知する」ということは、
「世間に不倫カップルが多くいても"モラル"の問題を提起しようと思わないが、大統領が不倫をすれば"モラル"を語ってみる気になる」
ということと、正に同じレベルではないか。つまり前述のとおりである。

こうなってしまった原因は多々あるだろう。
彼女の夫が望んだ、当たり前の気持ちですら、原因と言えなくも無いが、その気持ちを否定しようとは全く思わない。
しかしながら、この作品が、客観的な事実に主観的な解釈を加えてあるとすれば、感化された結果としてとるべき行動は、彼女のとった行動、つまりジャーナリズムである。
いやそこまでは及ばなくても、少しでもそれに近づき、そしてそういう人が多かったなら、この作品も彼女の人生も異なったものになっていたに違いない。

彼女の死こそ、警笛である。
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by nothing_but_movie | 2004-07-08 00:03 | Movie(V)