カテゴリ:Movie(数)( 3 )
非情の中に幸せを感じて
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2005/08/20 シャンテ・シネ


「5X2」(Five times two)
(「ふたりの5つの分かれ路」)
(2004年フランス)


監督:フランソワ・オゾン
脚本:フランソワ・オゾン、エマニュエル・ベルンエイム
出演:ヴァレリア・ブルーニ=テデスキ、ステファン・フレイス、ジェラルディン・ペラス、フランソワーズ・ファビアン、アントワーヌ・シャピー



この映画で最も印象的なのはやはり序盤。弁護士が出てくるシーンではなく、2人だけのシーン。つまりホテルの部屋でのシークエンス。法的手続きを終えた二人は離婚した夫婦には似つかわしくない、ホテルの一室を訪れる。そこで2人は恋人達がするように、SEXをはじめるが上手くいかない。レイプにすら見える。傍目には駄目押しにすら見えてしまうこのホテルの部屋での出来事の後、部屋を出て行こうとする女に男が「もう一度やり直せないか」と言う。無謀にも程があるようにも感じるがしかし、恋愛は感情だけの産物で、そこには本質的にルールが無い事を考えると、この一連の出来事は男の最後の望みをかけたものであったことが伺える。

人は恋愛という感情の産物に対して、感情とは対極に位置する法律というルールを持ち込んだ。これによって恋愛はルールによって、終わらせることが出来るようになったかに見えるが、やはりそんなことはなくて、恋愛は感情だけで成立している。例え法律的に離婚しても、ホテルの部屋で上手くいくような2人はその後も上手くいくのだろうし、此処で上手くいかないのであれば、それは完全な終わり以外のなにものでもない。男はこの法律という表面的なルールに隠れているかもしれない、最後の感情を確かめようとしたのではないか。しかしもちろんそんなものは無かったわけで、逆にこの行為は駄目押しとも取れるような惨憺な結果を生むだけっだったりするのですが。


現在から未来の結末はどうやっても知りようがありませんが、現在に対する過去の遠因は探れる、否、探ってしまうのが人の常。"現在"の顛末を知った観客はどうしてもその原因を過去へ求めてしまうのですが、オゾンが用意した映像が果たしてこの"現在"へ直接通じる原因だったかというとそれは明確には語られず、専ら男の視点から語られるこの"過去"の物語は、あるいはホテルに一人残された男の思考のほんの一部を描いただけという可能性も安易に捨てられないとも思えたり、つまりは男が現在の遠因を過去に求め、さらにそこから観客が遠因を推測するという、二重の妄想がそこにあるだけで、じつは彼女が考えていたことはもっと別のところにあった可能性も捨てきれないのでは。

思い起されるエピソードは冷静に考えればいずれも、そこまで深刻な話でも無いような気がしますが、あのような"現在"を見せられてからではどう見ても離婚の遠因に見えてしまったりしてしまいます。それは、一番不幸な現在から遠いはずの最後の出会いのシークエンスですら例外ではなくて、二人が海に向かって一緒に歩みだして直ぐに、日は山の陰へと隠れる。そんなことにまで、あまりに残酷というか冷徹な比喩を見いだしてしまったり。

否、しかし喧嘩で済みそうな話や、日が沈むというあたりまえの現実を映したシークエンスを残酷と呼ぶのだとすれば、全てから同じような比喩がいくつでも見つかると言うもの。しかし仮にそうだとしてもそんな残酷な現実に生きているわりには意外と人は幸せな時間を多く持っているのかも知れない。そんなことを時間だけでなく物語りそのものをひっくり返すのが好きなオゾンは言いたかったのかもしれない。
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by nothing_but_movie | 2005-09-21 00:40 | Movie(数)
過去の延長としての今と、その投影としての未来
2004/10/30 新宿東亜興行チェーン



「2046」
(2004年香港)
監督:ウォン・カーウァイ
脚本:ウォン・カーウァイ
出演:トニー・レオン 、木村拓哉 、コン・リー 、フェイ・ウォン 、チャン・ツィイー


それにしても気まぐれとは恐ろしくも好ましいものだということが身に染みました。というのも、普段私が見るのは専ら所謂"西洋"の作品で、普段は、最近の日本映画をはじめとするアジア圏の映画は面白いと思ったことが無いことから、ことごとく無視し、全く気にも掛けていないのですが、先週は何を思ったか「2046」を観てしまったと。何故観たのかという疑問はひどく簡単に解消できて、その日は雨が降っており、出かける気があまりしなかったのですが、午前中に持病の薬を得るため、数年前まで通っていた病院へ行き、午後は先日夜中に迷惑を掛けた友人の買い物に付き合い、夕方から一人で"いつもの週末の過ごし方"を飽きもせずになぞり始め、最初に「ツイステッド」を観て、その終了後、20分と空けずに上映されるスケジュールだったこの作品になんとなく飛び込んだと、ただそれだけの理由なんですよ。
上映直前に劇場に入った割には待ちも少なく、程なくして出てきた前回の観客が「ひたすらつまらなかったんだけど・・・」なんて話しているのを聞くと、雨のせいか初日にもかかわらず、劇場の前で「空席がまだまだあります」とか呼び込みをしていた「コラテラル」を観たほうがましだったかとも思いましたが、既に入場してしまっていたので諦めて席に着くことに。客入りは思いのほか少なく、劇場の大体3分の1ほどしか埋まりませんでが、客層は予想通り若いカップルが中心。そんな状況を見て改めて、やはり勢いで飛び込むものじゃないなと改めてこれから始まる2時間の退屈を覚悟しましたが、それは見事に杞憂となりました。

不勉強なもので私はこの監督の存在すら今まで知らなかったわけですが、終わる頃にはこんなスゴいのが香港にいるのかと、あっという間に所謂ファンになってしまいました。正直なところ、劇場についてからの経緯と、この作品の予告編のイメージもあってか、完全に気を抜いていた私はこの映画の冒頭のシーンがそれとは全く気付かず危うく見過ごすところでしたが、このシーンより始まる非の付け所の無い見事な展開と人物描写に完全に圧倒され、最後には先ほど申し上げたような状態に至ったというわけです。それにしても私が何より感心したのがこの映画の随所に現れる構図。1人でいるときのあからさまな孤独と空虚さ、2人でいる安堵感を覚えつつも本質的には虚しさだけがそこにあるという情景が、その画の切り取り方とそして微妙な焦点の合わせ方等によって見事に表現されておりました。特に焦点の当て方については、場所的には手の届くところに存在しつつも、心が存在する時間軸にずれがあるためすれ違ってしまう男女の状況を、カメラの焦点距離に転化した見事な表現であるなと感心したりも。ひたすら台詞と音楽で語ろうとする、ありきたりな娯楽映画とは全く密度の違う、この考え抜かれた無駄の無い画には全く感心しきりでした。この映像と、虚しさを抱えた悲しさを根底にたたえたストーリーとが相まって、実際に流れるまでには至りませんでしたが、何度も涙を誘われてしまいました。"至りませんでした"等と書くと意外に大したこと無いのかもとも思われるかもしれませんが、私はこれまでも実際に泣いてしまった映画は確か無くて、私が最高に感動した状態が"涙を誘われる"ということであって、"実際に泣く"というさらに上の状態がある、1段階下という意味では決してありません。と、まぁ私の感動がどの程度であれ、そんなことはこの映画の素晴しさとは全く関係がないということは言うまでも無いことですネ。

それにしても、この映画を日本で"売る"としたらあの予告編はあながち間違いともいえないのかもしれませんが、この映画をまともに"楽しめる人を呼ぶ"という意味ではアレは間違いなく誤りであると言わざるを得ません。いつかも言ったかもしれませんが、映画の予告はもっと考えて作らないといけないですね。恐らくこの映画は単に"キムタクを観に来た"カップルには勿体無いというか、この作品自体が"そういう目的"の彼等を相手にしていない訳で、これでは映画に正当な評価が下される訳が無く、客にとっても映画にとってもよろしくないなといえるでしょう。案の定、"それ"を目的に赴いたであろうカップルは口々に的はずれな批評をつぶやきながら、早々に席を後にしておりました。

それにしてこれほど手放しで面白いと思い、褒めることのできる作品はホント久しぶりではないかと思うのですが、それが何よりも最近毛嫌いしてきたアジアの作品というのがなんとも新鮮でうれしい限りです。さらに、この作品はこの監督の前作や、前々作とも繫がりがあるのだとか。これひとつだけとってもこれだけ面白いのですから、これらの作品を観ることさらにこの作品を楽しめるのでしょうね。否、もし楽しめないとしても何らかの発見があるに違いありません。
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by nothing_but_movie | 2004-11-02 23:59 | Movie(数)
それでも続く(「21グラム」)
a0008075_191110.jpg2004/06/13(渋谷シネパレス)
邦題:21グラム
監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
製作:テッド・ホープ
脚本:ギジェルモ・アリアガ
出演:ショーン・ペン、ベニチオ・デル・トロ、ナオミ・ワッツ



その構造に、批判が少なからずあるようだが、しかし、これが時間軸を持った話として展開されたら、唯の悲惨な話以上の存在になったかどうか疑問である。
この構成にすることにより、観客の興味を最期まで惹き付け、それにも増して、この構成にしたからこそ、いずれもすばらしい演技を行った、3人の名優それぞれを主人公とした物語が、紡ぎ出せたのではないだろうか。そして何よりも、誰もが持つ21グラムの重さを持った、その複雑で繊細な"存在"を語ろうとするならば、この構成以外にはありえないのではないか。

それぞれの苦難により、大切なものを失い、それぞれの葛藤の中で彼等はめぐり合う。
そして21グラムのその"存在"によってポール(ショーン)はクリスティーナ(ナオミ)を愛し、ナオミはジャック(ベニチオ)を憎み、ジャックは自分を責めた。
しかし最後に、3人はお互いのその"存在"により、深く理解し、許し合う事ができた。

その"存在"はあまりにも軽く、忘れられがちである。
そのために起こる悲しみも多い。

しかし、逆説的に考えれば、悲しむことが出来るということは、悲しむべきことが起こることは避けられないということか。
そしてそれでも"人生は続く"としたら、互いに理解し、許し合う事が唯一できることなのかなのかもしれない。
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by nothing_but_movie | 2004-06-14 19:11 | Movie(数)