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今週末レポート。
梅雨だというのにあまり雨が降りませんね。
映画見るか、仕事している私にはあまり天気は関係ありませんが・・・。


今週末は、

「永遠の語らい」
「SPUN」
「Godfather」(デジタルリマスター版)

でした。
今週は名作ぞろい。詳しくはまた後ほど。
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by nothing_but_movie | 2004-06-28 01:13 | 雑記
空虚の中にある可能性
a0008075_24154.jpgさて、やっとテッセラクト。
驚き。公開2日目にして、この客入りのなさは何!?

ある程度の混雑を予想していたので、連れに2時間くらい前にチケットを買っておいてもらい、
少し仕事が残っていたので、ぎりぎりまで仕事をしてから駆けつけたのですが…。
20人くらいしかいなかった。

原作が「28日後」「ザ・ビーチ」のアレックス・ガーランド、監督が「ザ・アイ」のオキサイド・バンなんだから、もう少し入ってもいいんじゃないの?


さて、
冒頭や、予告で流れる文句のとおり、4次元の展開図なのである。

3次元の存在である私たちは、4次元を概念として捉えることはできても、認知することはできない。
では4次元の展開図である、この作品を詳細に読み解くことで、その元の構造を読み取ることはできるか?
否。
例えば、2次元の構造である"四角形"を、1次元の唯の"直線"に展開したとき、
その元の構造を、唯の"直線"から復元できるか?
直線からは、円も作れれば、三角形も自由に作れてしまう。

同様のことが、3次元の展開図としたときの、2次元の構造にも当てはまるし、
4次元の展開図としたときの3次元についてもいえるはずである。

つまり、4次元の構造は、3次元に展開したとたん、その高次元で保持されていた構造は崩れ、失われ、復元不可能となる。

つまり、この作品は、3次元以外の何物でもなく、四角形を展開すると、その内に区切られていた空間が解き放たれ、存在しなくなるように、この作品の中にも、もともとその4次元で形作られていた存在は一片も含まれていない。空虚なのである。


つまり、最初から分かっていたように、3次元の存在である私たちが4次元を認知することはどうあがいても無理なのである。

では、私たちは、私たちの認知することができない4次元の構造に、唯翻弄されるだけの存在なのか?
否。
2次元の展開図を加工することで、その3次元構造へ影響を与えることができるように、3次元を加工することで、4次元へ影響を与えることは可能である。

私たちは3次元しか認知できない。それはつまり、4次元の構造については"開けてみないとどうなっているか分からない"ということである。
開けてしまったら、もう私たちの力では元の構造には復元できない。しかし、そうすることで初めて、私たち自身が、4次元を変える力と可能性を持っていることに気付くことができるのだ。
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by nothing_but_movie | 2004-06-26 02:43 | Movie(T)
初日すごいことに。
仕事に忙殺されていたら、あっという間に公開初日を迎えてましたね。

R指定は覆らなかったようですが、入場者数は多いようです。
ムーアから「バカでマヌケ」と称された人々も、これには興味があるのか。
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by nothing_but_movie | 2004-06-25 00:43 | 雑記
期待通り!!
a0008075_03240.jpgそれにしても、先週観たものの中で一番客が入っていたのがこれだ。
一体どうなっているのか。

予想通りといえば、そのとおりであり、何も残念に思うことも無い。また、そうだからといって、私には全く関係ないことである。そもそも期待値通りなのだから、満足してもおかしくないのだが、しかしどうなっているのかと首を傾げてしまう。

概して、このようなことを言うと、概ね予想通りの、幾通りかの反応が得られる。
しかし、それらに対しては全く同様のロジックで、反論を返せることがほとんどであり、それはまったくもって不毛である。
それにも増して主観的な意見に対して一々反応するほど、マメではないので、人の多様性に唯只感心するにとどめておくことにしている。

前述の作品を見た直後に、この作品を見たので、
サラが電車で不機嫌だった理由が、よく理解できた。

それにしてもカッコイイ役は似合わないなぁと何時も思う。
ちょっと汚い役をやっているときが一番カッコイイ。
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by nothing_but_movie | 2004-06-25 00:33 | Movie(T)
倒錯とも陶酔ともうつる真実
a0008075_233930.jpgこのような感覚に陥ったのはいつぶりだろうか。

しかしながら、途中で気がついていたのだ。
あの、あまりに対比されたシークエンスによって、自身を第3者の視点で覗くことによって、あの不釣合いな男女の根底にこめられている感情によって、一連の物語は既にその本当の姿を私の目にさらしていながら、しかし、そのあまりに倒錯的な完全なる偽りの前に、既に見出した真実すら、疑わせた。


風のある水面は光を複雑に散らすも、その全ての根底には確かに、神が創ったとしか思えないような美しく完全な理がある。だからこそ、人はそれに魅了され、時間がたつのも忘れて水面を見つめてしまう。

このスクリーンも、暗い部屋の後方より降り注ぐ人工的な光を、複雑に散らす。そしてそこには、神が創った理にも比肩するほどの、計り知れない意図が含まれている。

女性への深い理解と、洞察が、その美しいプールを中心に描かれたこれは、あまりにも美しく、その美しさはあまりにも完全である。

神はその絶対的な存在のために、姿をあらわさずとも崇められる。しかし、逆説的ながら、神の存在が絶対的であればこそ、その姿が現れた瞬間こそが、真にそれを理解し、崇めることができる唯一無二の瞬間であると思う。
そして、これもまたそうなのである。
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by nothing_but_movie | 2004-06-23 23:40 | Movie(S)
今週末レポート。
急に仕事が忙しくなって、のんびりと昼間にブログがかけなくなってしまいました。
悲しいですが、いたしかたない。

今週末は、
「スイミングプール」
「テッセラクト」
「トロイ」
でした。

詳しくはまた後ほど。
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by nothing_but_movie | 2004-06-22 00:39 | 雑記
R指定!?
このところ毎日のように話題を提供してくれるマイケル・ムーアですが、14日付のロイターによると、「華氏911」にアメリカ映画協会から"R指定"の評価が下されたようです。

通常ドキュメンタリーは審査等は特にされずに、公開されるようなのですが、ドキュメンタリーとしては、最大級の500~1000館での封切が災いし、審査が必要になったようです。

劇中の戦争の因果関係についてのイメージが、R指定の原因となったと推測されていますが、IFC(配給元)はこのことについて、「ニュース番組で見るものとさほど変わらず、このR指定は不当である」と反論しています。

6/22に再審査が行われるようですが、内容の修正を行わない限り、PG-13指定を取るのは難しいようです。

このR指定による一番の影響は、ムーアが見てほしいと考えている、2、3年後に徴兵され、イラクに派遣される可能性のある、15、6歳の少年が、親の同伴が無ければこの映画を観ることができ無いという点でしょう。

「彼らには、イラクで実際に何が起きているのか知る権利がある」ムーアはそう主張しています。

難しい判断を迫られているムーア。今後の動きも気になるところです。
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by nothing_but_movie | 2004-06-15 12:12 | 雑記
それでも続く(「21グラム」)
a0008075_191110.jpg2004/06/13(渋谷シネパレス)
邦題:21グラム
監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
製作:テッド・ホープ
脚本:ギジェルモ・アリアガ
出演:ショーン・ペン、ベニチオ・デル・トロ、ナオミ・ワッツ



その構造に、批判が少なからずあるようだが、しかし、これが時間軸を持った話として展開されたら、唯の悲惨な話以上の存在になったかどうか疑問である。
この構成にすることにより、観客の興味を最期まで惹き付け、それにも増して、この構成にしたからこそ、いずれもすばらしい演技を行った、3人の名優それぞれを主人公とした物語が、紡ぎ出せたのではないだろうか。そして何よりも、誰もが持つ21グラムの重さを持った、その複雑で繊細な"存在"を語ろうとするならば、この構成以外にはありえないのではないか。

それぞれの苦難により、大切なものを失い、それぞれの葛藤の中で彼等はめぐり合う。
そして21グラムのその"存在"によってポール(ショーン)はクリスティーナ(ナオミ)を愛し、ナオミはジャック(ベニチオ)を憎み、ジャックは自分を責めた。
しかし最後に、3人はお互いのその"存在"により、深く理解し、許し合う事ができた。

その"存在"はあまりにも軽く、忘れられがちである。
そのために起こる悲しみも多い。

しかし、逆説的に考えれば、悲しむことが出来るということは、悲しむべきことが起こることは避けられないということか。
そしてそれでも"人生は続く"としたら、互いに理解し、許し合う事が唯一できることなのかなのかもしれない。
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by nothing_but_movie | 2004-06-14 19:11 | Movie(数)
次はブレア首相か!?
a0008075_125128.jpg
[ロサンゼルス 11日 ロイター] マイケル・ムーア監督のイラク戦争反対はまだまだ続く。ブッシュ米大統領の戦争への取り組みを痛烈に批判した映画「華氏911」を発表した監督だが、戦争でのブレア英首相の役割をテーマにした映画制作に意欲を示した。
 ムーア監督は11日、ロイター通信とのインタビューで、「個人的には、イラクの戦争でブッシュよりもブレアの方が責任が重いと思う。ブレアはブッシュより分別があるからだ。ブレアは間抜けではない。ブッシュにまとわりついて、一体何をしてるのか」とコメントした。

 英国とブレア首相は、米国主導のイラク戦争を支持した連合国の中で最も強硬な姿勢を示してきた。


とあったが、ブレア首相についてのはただのジョークとして、12日にムーアのHPで否定された。
ブッシュと違って、"Blair knows better. Blair is not an idiot. "だから、映画を見て考えてくれって感じか?
作ってくれても良かったんだけどね。
何れにしても、11日のロイターとのインタビューやこの発言に、ムーアのいやらしさが垣間見れた気がしました。
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by nothing_but_movie | 2004-06-14 12:52 | 雑記
犬が群がる映画 (「ドッグ・ヴィル」)
a0008075_13748.jpg2004/03/28(シネマライズ)
邦題:ドッグヴィル(2003 丁抹「dog vill)
監督:ラース・フォン・トリアー
製作:ヴィベケ・ウィデロフ
脚本:ラース・フォン・トリアー
出演:ニコール・キッドマン/ローレン・バコール


ラース・フォン・トリアー監督は好きです。彼の作品をはじめて観たのは、大学生の頃。バイト中に、レンタルビデオ店でレンタル落ちの「キングダム」を買ってきたのがきっかけ。
その頃私は、全盛期を迎えていた、80年代ホラー映画。にはまっていて、10本か20本ほど、ホラーのビデオばかりを買ってきたのだけど、その中に「キングダム」1章と2章があった。

このキングダムがまた秀作で、なんとも癖になった。
ちなみに独特の手持ちカメラのブレと、独特の編集はこの時から既にこの監督の持ち味のようです(ほとんどが編集とか撮影を担当した人の味なんだろうけど)。
この映画(元々はデンマークのTVシリーズです)は何がすごいかというと、ホラーにありがちな「善⇔悪」の対立が無く、「悪⇔悪」の対立になっていて、しかも専らこの対立は、人と人の間で繰り広げられるところ。
彼の原点が凝縮されたこの作品を、まだ見たことの無い方はぜひ観てみてください。
今まで完結していなかったのですが、7月にコンプリートボックスなるものが、出るようです。買いですね。

さて、本題。「Dogvill」。この作品は至極単純。ラース作品はこねくり回しても結局テーマは単純。しかし彼のすごさは、その単純なテーマを嫌というほど見せつけることだろう。
今回、この作品でテーマとなっていたのは、人間の「醜さ」というか「利己主義」というか、最後のニコールとその父親との台詞からとるなら、「傲慢」をテーマに、生焼けのグロテスクな料理をこれでもかと出しまくる。

本質的には資本主義的が根底にあると考えるとわかりやすい気がする。
つまり、ニコール・キッドマン扮するグレースは村にかくまって貰う事と引換えに「労働」と、後半からは「性」をも提供する。グレースはこれらを提供しない限り、村から出て行く、すなわち、村に存在してはいけなかった。この考え方をそのまま村に適用すると、最後に村が全滅するのは、「かくまう」という存在意義つまり、労働や性への「対価」を無くした村にとって、あたりまえの顛末ということになる。

さらに、資本主義の特徴として、力を持つものが有利な立場を築けるということがある。すなわち、物語大半において、村人がグレースに対して有利な立場に立っており、村に居たかったら、対価を提供することを求めることが出来たが、逆に、最後にグレースが父親と同じ権限をもつようになるや力関係が逆転し、対価を提供することの出来ない村を消滅させる。

これらは、資本主義の社会では日常的に繰り広げられている情景ではある。モノがほしければ働き、価値を提供できない会社はつぶれる。それだけのことを単に人間に置き換えているに過ぎない。

もしここに、人間の本質を見るのであれば、資本主義の社会そのものが「人間の本質」を拡張したに過ぎないということが逆説的に語れるのではなかろうか。

また、資本主義とは別に、究極に閉じた民主主義をも感じさせる。閉じた空間とは「村」であり、「ギャング」である。その組織において「正しい」とされたものは、正しいと信じられる。端のことは関係ない。そういう民主主義。

ではラースは何が言いたかったのか。
曰く、「アメリカ三部作」に、この作品は含まれるらしい、また、劇中にあった独立記念日、そして最後に流れたD・ボウイの「ヤング・アメリカン」とくれば、「アメリカ」の縮図を描いている」と考えて差し支えないだろう。
そうするとこの映画から読み取れるアメリカとは、何かをしてやる代わりに搾取し、抵抗があれば無理やり従わせる。交換の究極の形としての、仕返しが、権力あるいは民主主義によって正当化され、必要なくなれば消し去り、自分に害を及ぼさないものについては、「人道的」だといわんばかりに助ける。こういうことか。

しかし、ここで終われば駄作。
この作品が、というかラースがラース足りえるのは、この「アメリカ」を見事に観客にまで落とし込んだ点。

この映画を見終わり、5割くらいの人が無言で去っていく中、残りは口々に「最後は、すっきりして良かったね」とか、「ダンサー・イン・ザ・ダークより救いがあったね」とか言っていた。
確かに、誰しもグレースに感情移入し、最後の結末には、共感できる部分が少なからずあるわけだけど、しかし要はそれがラースのねらいで、物語の最後、月が昇る瞬間までは、「村人=傲慢≠グレース=寛容」だったものが、その瞬間等式は「村人=傲慢=グレース」に変形され、グレースに共感してしまった観客もその等式の中に取り込まれ、「村人=グレース=観衆=傲慢」という等式が最終的に完成される。

犬は、グレースの「偽善的な」やさしさのため、殺されなかったと思われるが、その犬が最後に姿をあらわすのは、犬=「人間の傲慢さの象徴」と捉え、単純な皮肉と思われがちだが、確かにその意味もあるが、私はもう一つ二つ意味があると思っている。

一つ目は、周りがこの映画のセットと同じように真っ黒の壁で覆われ、必要最低限な椅子しかない、まるでこの映画のミニマムなセットのような場所にいる、観客が等式に組み込まれたこと、すなわち映画の一部となったことを、映像として表現するためのモノだったと思う。つまり、等式に組み込まれた観客の「犬」な部分が、スクリーンに実態を表したのだ。

こう考えるとますますグレースの偽善が際立ってくる。つまり、グレースに共感し、支持していた「観客」はグレースにとって「価値」があり、残しておくことの方が好ましい。だから「観客」の象徴の「犬」は殺されなかったというわけ。

二つ目の意味は、等式に組み込まれなかった観客を対象としている。
すなわち「俺はこの結末は予想できたし、グレースが正しいことをやっているとも思ってないよ。グレースも村人もお互いに許してやればいいだけじゃん」等と、この村と「異質である」と思い込んで、「寛容」を自負する観客に対して、吠えさせるためではないか。ややこしいのだが、「寛容」を自負していたグレースがはじめて村にやってきたとき、この犬に吠えられたように、「寛容」を自負し、「犬」として映画に取り込まれることを逃れた人ですら、実はすでに、映画の冒頭のグレースと同じ立場で、この物語の中に取り込まれたことを明示するためではなかったのかということ。だから犬はスクリーンの外に向かって吠えた。
この「寛容」を自負する観客が、グレースと同様、最終的に「傲慢」に身を落とすのは、この映画を見た人であれば、言うまでも無くわかることだろう。




こうすることにより、「DogVille」はスクリーンの外にまで、その集落を広げ、ラースはその中でニタニタ笑う。
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by nothing_but_movie | 2004-06-12 01:39 | Movie(D)