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現実として知覚するフィクション
先週末は、

「ツイステッド」
「2046」
「コラテラル」
「エクソシスト・ビギニング」

でした。


映画の話は時間のある後日にするとして、捕らぬ狸の皮算用とはまさにこのこと。先週の木曜あたりに「今月は20本は書く」ようなことを書いておきつつ、気付けばもう11月なわけですよ。月間最高投稿本数は"19"で確定してしまいました。まぁ"投稿日時"を弄ればこんな記録はいくらでも作れるのでしょうが、夏休みの宿題でよくあった"日記"の様に、あまり弄ると日付そのものに全く意味が無いものになってしまいますから、程ほどにって事で、記録更新は今月以降に持ち越しということに。
しかし、良く考えれば私が今までの文章を読み返したところで、日付に関する記憶はほとんど残って無いため、日付に疑いを持ったとしても、それを覆すようなことはできず、結局「そうだったかも」と思うより他に無いわけで、つまり実質的には"投稿日時"をいくら弄ったところで影響が無いといえるのかもしれません。そもそも人間には概念として"客観的"な時間はあっても所詮それは"主観的"時間の寄せ集めでしか無いわけで、つまり"客観的"な時間というのは本質的には大した意味が無く、要は"いつしたか"よりも"何をしたか"が重要だと、そんな気がします。さらにこのことは"日記"という個人の主観的な記録には例外なく当てはまるのは言うまでもありません。とは言っても、やはりフィクションあるいは捏造の記録は所詮"夏休みの日記"なわけで、そんなものよりは、日付に疑いが残らない方が"主観の積み重ねである客観的"な"記録"としての目的は果たせるわけで、投稿時間は弄っても2、3時間程度にするように勝手に心がけております。と、まぁこんな勝手な決め事なんていうものは、私以外の人に視点を移せば全く意味が無い話しで、つまりここに書かれていることが"真実"であろうと"捏造"であろうとそこには全く違いがないわけで、つまりどちらでもかまわないと。そして此処に書かれていることが全てであり、少なくとも"現実"であるのは確かなはずで、これこそが"私"の存在そのものだったりもするわけですヨ。

存在といえば、つい先日イラクで一人は、新潟で二人亡くなられた方がいらっしゃいましたが、これまで彼等と全く接点の無い私にとっては、彼等は専らTVや新聞といったメディアの中にしか存在しておらず、そのためメディアが"生きている"といえば生き、"死んだ"といえば死んでしまうと。そのおかげで1人は見方によっては2度死んだような報道がされたりという、なんとも馬鹿らしい事態が発生したりも。つまり、メディアを通して現実を知覚しているつもりがいつの間にかメディアが作るフィクションを見ていると、それが良いかどうかは知りませんが"現実"はそうなっていると。

そういえば、金曜日は木曜日に危惧していた通り、朝も夜も一線を超え、遅刻、日付が変わってからの帰宅となりました。そしてこれも危惧していたように本日もずるずると遅刻を。私がいくら"客観時間は主観時間の寄せ集めだ"なんていってみたところで社会とはその寄せ集めを元に形成されているものですからこんな言葉には全く意味が無く、唯只、暗に客観時間通りに出社を求められるのは言うまでもありません。
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by nothing_but_movie | 2004-11-01 23:59 | 雑記