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今週末は、
「BON VOYAGE」(「ボン・ヴォヤージュ」)
「Nathalie...」(「恍惚」)
「BUFFALO SOLDIERS」(「戦争のはじめかた」)
「BLESSED」(「エヴァンジェリスタ」)

でした。

ひとまずこれで今年は映画の見納めの予定。ホントは「スーパーサイズ・ミー」も観たかったのですが、iPodの調子が悪く、日曜はその修理のためApple Storeに数時間足止めされてしまい断念。おかげでiPodの不具合は直った、否、正しくは新品に交換されたわけですが、映画のほうはちょっとしまりの悪い終わり方になってしまったかなと思っております。まぁ大して気にはしていませんが。
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by nothing_but_movie | 2004-12-26 22:56 | 雑記
幸せを感じつつ
こんな時間にこんなところを更新するのもどうかと思いますが、まぁ更新してもしなくても私が"この日"に似つかわしくない事をしていることにはかわりがありませんから、せっかくなので其れを明示すべく更新を敢行しているしているわけです。で、何をしているかというと、お分かりだとは思いますのであえて言いません。

と、それなりに卑屈ぽく書いて見ようと思ったものの、全く卑屈になれない自分がいたりして、と言うのも私は今必死に思い出しただけでもここ5、6年、この日をまともにうかれて過ごしたためしがないのです。別に浮かれるための"条件"がそろっていなかったわけでは全くなく、要はアホラシクテやってられないと、唯それだけの理由なのです。つまり世間が気にするほど私は"今日"と言う日を特別に意識したことが無いということで、したがって、いつもより少しだけ早く静かになったオフィスがやたらと快適だったりして、この時間まであっという間にたってしまったと、そういうわけです。

そのおかげで溜まりがちで、期限に遅れそうだった仕事が意外にも終わりそうな兆しが見えてきたりして、幸せを感じつつあります。世間では日付に特定な名前が付くだけで幸せな気分になれてしまう人もいますが、そうでなく仕事の量に対して幸せを感じている人もいると、唯それだけのことです。
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by nothing_but_movie | 2004-12-25 01:07 | 雑記
本日は
「PIEDRAS」(「靴に恋して」)
でした。

詳しくはまた後ほど。
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by nothing_but_movie | 2004-12-23 23:24 | 雑記
終点ではなくて
a0008075_2116088.jpg2004/12/19 新宿プラザ


「Terminal, The」(2004米)
(ターミナル)

監督:スティーヴン・スピルバーグ
脚本:サーシャ・ガヴァシ、ジェフ・ナサンソン
出演:トム・ハンクス、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ、スタンリー・トゥッチ、チー・マクブライド、ディエゴ・ルナ


実物大や其れに近いセットを組むのは最近では別に目新しくもないことですが、空港のターミナルサイズのものを丸ごとセットとして組んでしまうのはなかなか無いのではと。まぁ恐らく今のご時世、いろんな意味で空港は"重要な場所"であるわけですから、スピルバーグと言えどもそんな場所をおいそれと貸切るなんて事はできないということなのでしょう。

私のあてにならない記憶では、最初の頃の予告編は9・11と絡めていたような気がしたのですが、やはり記憶違いか勝手な思い込みだったのでしょうか。しかしながら、この作品が製作された時期にそれの空港への影響がほとんど描かれていないというのは、やはり作品として意図なのではないかと。

空港で離発着を繰り返す飛行機とそれに乗り旅立つ人々。ターミナルは終点でもあるが起点でもある。全く同様に、彼の周囲にいる、人種や年や性別や経歴が全く異なる人々も、彼を"起点"として新たな人生や日常に、あるいはある意味非情な現実へと旅立っていくわけです。彼そのものは通過点であり、終点ではないので、全ての人が彼を通り過ぎて行ってしまうのだけれども、そこでは皆何か"重要なもの"を得て旅立っていくわけです。其れは人によって様々なものだったけれども、いずれも忘れたくない"重要なもの"だったなと。ここではたと、空港と言うものを人が夢想していた時代の空港の"本来の姿"とは、そういった"思い"、つまり人種や国境を超えた交流や、お互いの思いやりや、理解、助け合い、そして自由。そういった"重要なもの"を成し得るための存在であって、間違っても今のように不穏分子を排除したりするためだけの存在ではなかったのではないかと思い当たる。そしてこの空港の"本来の姿"を実現するのは技術の進歩や、法や規則の整備ではなく、"人の思い"であると確信させるように、最後に彼も周囲の人々のそういった"思い"に助けられ、彼の"思い"を満たすわけです。つまり彼が待っていたのは事象としては国の復権ではありましたが、より本質的には人の心の"重要なもの"への回帰だったのではと。

こう考えてみると、作品とは別の意味で"重要な場所"となってしまっている現実の空港が撮影場所に適さないのは至極当たり前で、然るに"本当の姿"としてのセットを建設せざるを得なかったと、否、最初からそのような正反対の属性を持った実際の空港で撮ろうとは思っていなかったことでしょう。ではなぜCGやあるいは必要最低限の小さなセットを小手先の技術でごまかしながら使わなかったのかと言うと、人の手で"本来の姿"を作ることにこそ、意義があると考えたからではないかと勝手に思っております。

いずれにしても、この作品で描かれた空港や人の姿こそ"本来の姿"であり、そしてまた目指すべきものであってほしいなと、そう思いました。


時事ネタを取り入れつつ、映画としての面白さも残し、かつ、芯に確かなものを持つ。毎回ながらスピルバーグはさすがだなぁと思いつつ席を後に。外に出ると少し雨のぱらついていた師走の新宿。心なしか暖かく感じたのはこの作品のおかげだったのかもしれません。
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by nothing_but_movie | 2004-12-21 21:36 | Movie(T)
愛せばこそ
a0008075_2362151.jpg2004/12/17 新宿東亜興行チェーン


「Alien vs Predator」(2004米)
(エイリアンVS. プレデター)

監督/脚本:ポール・W・S・アンダーソン
出演:サナ・レイサン 、ラウル・ボヴァ 、ランス・ヘンリクセン 、ユエン・ブレムナー 、コリン・サーモン


金曜日の2本目に見たのがこの作品。去年の映画祭の頃から1年以上も待ったこの作品。仕事などの疲れから、当日見るのはあきらめようかとも思ったのですが、やはり彼らの魅力には抗えず、いつの間にやら足が向かったわけです。

六本木で「ニュース・・・」を見て、新宿に着いたのが2時過ぎ頃。どうせ空いていると思っていたのでなるべく遅く行くため、夜食など軽くつまんでから劇場へと向かい、開場30分くらい前に到着。それから客席の外にある、通路ともロビーとも言えない必要最低限の空間で待っていたわけですが、この映画館に来ていつも思うのは音が漏れ過ぎということ。なるべく遅く行ったのはこれが理由なワケです。音だけならまだいいのですが、台詞は如何ともしがたい。終盤のほうの台詞がまる聞こえなわけで、事前にある程度展開を予想している映画等はここでその予想の正否がわかってしまったりも。しかし整理券や指定席制でもないのであまり遅く行くこともできず、仕方ないのでここにくるときはいつも所謂ウォークマンに代表されるようなものを持ってきているわけですが、あいにく先日は連れもいて一人でイヤホンを耳にはめるわけにも行かず、ただただ決定的な台詞が聞こえないよう祈ってばかりいました。そのおかげかどうか知りませんが、台詞として聞こえたのは一言のみ。が、よく考えるまでもなくエイリアンもプレデターも台詞なんてのは殆ど必要ないわけで、むしろ音や映像の方が重要ですから、これは全く私の祈りとは関係の無い帰結なわけですね。まぁいずれにしても、台詞は聞こえませんでしたが、音は容赦なく聞こえていたわけで、その唯一の言葉と、聞こえていた音でほぼ完全に展開と結果が解ってしまったあたり、残念と思うべきか、予想を当てた自分を褒めるべきか、あるいはそんなことだけで映像まで想像できてしまうくらい両作品群を何度も見てしまった自分を哀れむべきか、そんな複雑な心境ではありましたが、ストーリーには元から期待していませんでしたので気にしないでスクリーンへ。

前回も7~8割がた埋まっているように感じたのですが、私が観た朝の5時近くに終わる回も時間の割りに観客が多かったのは、"季節行事"で終電を逃した人が多かったからなのか、この作品あるいは、ネタもとの人気のおかげなのかはわかりません。もっとも、"多かった"と言ったところで、つい先ごろまでこの映画館で上映していた「ソウ」や「ハウル」には較ぶるべきものでないことは、言うまでもありませんが。


俯瞰から続く、各地に散在しているその道のエキスパート達をエージェントが収集するシーンは、さながら「アルマゲドン」のようにも思いましたが、アレが無意味に何人も何人も、名前すら呼ばれる前に死ぬような人までもばか丁寧に描いていたのに対して、これはそこら辺を上手く切り上げて、おきまりの背景説明へ。これなんかもあまり本題と関係ないですからそれなりに適当に済ませて早速その現場へ。この展開とテンポの良さは客が何を求めているのか理解していると言うことなんでしょうね。好感が持てました。

その後の展開はといえば、プレデター1で始まって、エイリアン1、2、3、4と続いて、プレデター2で締めたような話、と言えば結構な人が想像できると思うのでこれ以上のあらすじを書く気はありませんが、まぁそんな感じです。で肝心の対決シーンはあまり無く、また、むこうでの評判どおり無難で一般向きなできでしたが、極々個人的な意見としては、作品的にそれほど悪く言うほどのものでもないのではないかと、そんな気がしました。映像はあまりに惨い一昔前の邦画怪獣映画のようなあからさまな映像をのぞけば"それなり"に楽しめますし、何よりもスタッフの両作品への敬意というか、"好き"という感じが滲み出ているように感じました。好きなら何でもありとは言いませんが、軒並みコメディー路線に転向させられるホラーキャラクターが多い中で、彼等は上手くその本来のキャラクターを生かしたと評価するべきでしょう。

個人的に次に期待したいのは昔の話のほうですね。エイリアンが「スターシップ・トゥルーパーズ」のバグよろしく、うじゃうじゃ出てくるアレ。アレをひとつの話としてしっかりと展開するとまた新しい魅力があるんじゃないかと思ったり思わなかったり。ただ今回以上にジャンルが変わってしまうのは確かなようで、其れはそれで少し心配してしまったりして、要はまあそういうことです。
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by nothing_but_movie | 2004-12-20 22:59 | Movie(A)
なんとか
結局今週末も2件ほど"季節行事"に参加したのですが、なんとか映画に時間を割くことができました。

「ニュースの天才」
「AVP」
「ホワイト・ライズ」
「ターミナル」
「岸辺のふたり」

週末にこれだけ見ていれば"なんとか"と言う表現は適切ではないのかもしれませんが、恐らく今月に入って映画を観たのは今週がはじめてのはずですから、感覚的にはやはり"なんとか"が適切ではないかと思うしだいです。
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by nothing_but_movie | 2004-12-19 23:59 | 雑記
ああ今日も
そろそろいい加減にしてほしいのが例の"季節行事"。
今日は24時開始で券を取った作品があるので、たまり気味の仕事を昼間から黙々と片付け、順調に進んでいたにも関わらず、先ほど急な呼び出しが。時間的にも気分的にも顔すら出したくないのですが、立場上致し方なく。
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by nothing_but_movie | 2004-12-17 21:48 | 雑記
映画そのものではなくて
そういえば先日知人が見ていた映画関係の掲示板で面白い人がいたらしくて、どんな人かというと、何を聞いても誰かがどこかで言っていたような事を其れらしく言ってくるような人だったんだとか。そんな人に知人はまじめにある作品に対する"彼なり"の解釈やら様々な矛盾なんかを説いていたようですが、すると"矛盾点を細々指摘するような人はホントに映画が好きな人じゃない"とか言われてしまったらしい。しかし私は思うに、それと所謂"映画"を好きか否かについては全く関連性が無い事なのではないでしょうか。そもそも、特定の作品に対する批評態度を"映画"全般に対する態度と拡大解釈してしまう事自体、問題がある論旨展開だとは気付かないのでしょうか。だいたい解釈ではなくても、単純に自分の感想すら自分の言葉で言えないような人に好きとか嫌いとか言われたくないですね。なにしろそういう人が見て、感心しているのは映画そのものではなくて、他人様が書いた批評ですからね。
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by nothing_but_movie | 2004-12-15 23:59 | 雑記
二度あることは
a0008075_109434.jpg
早くも週半ばに差し掛かり、そして気付けば12月ももう半ば。ひたすら早いものだなと、無意味に感心しております。

そういえば気付けば向こうでは"Oceans 12"がもう始まっていたのですね。2作目にしてはいい評価がついているようですので、娯楽としての完成度は高そうです。
そして早くも次回作の話なんかもちらほら。まぁまだ噂や、冗談の範囲を超えていませんので、なんともいえないところですが、今作の経緯や、その他もろもろの諸事情を勘案すれば、"二度あることは・・・"てのが思い浮かばなくもないですね。

今週末こそ、「AVP」も始まることですし、最近遠のきがちの劇場へと足を運ぼうと画策しているのですが、土曜日にはまたもや例の"時節行事"が。
最近は私にとってめぼしい作品が少なく、それほど影響が出ていないのが幸いですが、"少なく"とは言っても少しはあるわけで、これ以上溜まるとめんどくさいことになりそうですから、今週こそは。しかし先週末に崩した体調の回復具合はあまり芳しくはないですし、仕事や土曜日のことを勘案するに、"二度あることは・・・"てのが思い浮かばなくもない状況ですね。
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by nothing_but_movie | 2004-12-14 23:59 | 雑記
想定外の存在
2004/11/20 (ユーロスペース)



「変身」


監督:ワレーリイ・フォーキン
原作:フランツ・カフカ
脚本:ワレーリイ・フォーキン 、イワーン・ボボーフ
出演:エヴゲーニイ・ミローノフ、イーゴリ・クワシャ


少し前に「変身」を読んでみたのですが、これからあのような"映像"が出来上がるのは至極納得出来るものがあるのですが、しかしやはりあれは別物である、あるいはその一部のみをうまく転回した作品だという思いに至りました。

要は彼を"虫の姿をした人間"と描くか、"人間の姿をした虫"として描くかの差だと思うのですが、つまり"文章の方"では彼の人間的な思考やらが垣間見れる記述があり、人間としての存在を認めざるをおえず、したがって彼とその周囲の人にある隔絶は埋めようがあるがしかし、現実的には埋めがたいものであるように見えるのに対して、"映像の方"では彼は"人間の姿をした虫"としてしか描かれておらず、それと周囲にある隔絶は埋める必要もなければ、埋めれるはずも無いものに映ってしまっていると。つまり"映像の方"は怪獣映画と一緒になってしまっているのですよ。
しかし完全なコミュニケーションの断絶を描こうとしたら、あのように誰もが拒絶したくなるような演技もありかとは思うのですが、やはりあれでは単に"虫"であって、そこに我々観衆はコミュニケーションの余地を感じず、怪獣退治よろしく、拒絶で当たり前ということになるのです。"文章の方"ではこの拒絶をかわすべく、彼の一人称での記述や、家族への愛情、あるいは家族からの愛情、彼の回想などがちりばめており、あくまで彼が人間であるということを最後まで描いているのです。つまり"虫"の姿をした人間として彼は最後まで描かれているわけです。そうだからこそ、"文章の方"にはさまざまな示唆があるのであって、怪獣退治に成り下がっていないのだと、繰り返しですがそんな感じが。

結局あの"映像の方"は映像としての"虫"の表現には成功しているものの、肝心の彼の人間の部分が描かれないがため、作品としての焦点がずれてしまったわけです。つまり既にこの時点で同一の作品とはあまりいえるものではなくなっているのです。

しかし、もし"現実"としてこの"虫"への変身という自体を捉えるなら、焦点云々よりも、このような"虫"も十分想定に入れられるべきではあるのかもしれません。
そういう点まで考慮されてあのつくりにいたったのであれば納得もいくのですが、しかしどうにもあの作品からそのような部分はあまり見られないというかなんというか。これはあの"虫"の演技がそう思わせているのだと思うのですが、そうだとすると逆説的にあの"虫"の演技は私の想定はるかに超えたところで成功していたと認めなくてはいけないのです。つまり、受け入れる理由の全く見当たらない、拒絶すべきものを見せ、その反応を描いたのがこの作品であり、"文章の方"は見事にその反応が作品外に漏れ出無いよう描いていたのですが、"映画の方"はスクリーンの外にまであえてそれをひろげて、現実としての"変身"に対する反応を観客に起こさせたということなのかもしれません。
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by nothing_but_movie | 2004-12-13 23:59 | Movie(M)