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壮大にして空虚
a0008075_1345816.jpg2005/5/28 VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズ



「Kingdom of Heaven」(「キングダム・オブ・ヘブン」)
(2005米)


監督:リドリー・スコット
出演:オーランド・ブルーム、エヴァ・グリーン、リーアム・ニーソン、ジェレミー・アイアンズ、エドワード・ノートン



連れには序盤の乱暴な展開が至極評判が悪く、その結果作品全体の評価も大変低くされてしまったようです。確かに聖地に纏わる歴史に疎い場合には展開が暴力的なまでに早く、また説明不足で、ある意味所謂ご都合主義的な展開にも見えましたが、しかしそれは映画の出来が云々言う前にあなたが勉強不足というもので、まがりなりにも近年話題的にも関係的にもホットな二大派閥の歴史的な争いなのですからそれくらいは押さえておいてほしいところと言うのが製作側の本音ではないでしょうか。とは言ってみたものの、正直私も十字軍にも、宗教にも大して詳しく無いので、つらい部分があったのは確か。しかし予備知識など無くとも必要な情報は映画から読み取れるレベルであったり、常識的に知っている範囲だったと思うのですがどうなんでしょうか。また、予備知識があってもなくてもそれほど印象は変わらない気もします。まぁとりあえず、そう言うことで展開の荒さには目をつぶるにしても、それ以外の作品をまとまりの悪いものに見せている蛇足的なシーン、ホントにご都合主義以外なにものでもないシーン、動機が不明瞭な点はなんともいえませんが。総じて、壮大にして空虚、そんな言葉が頭をよぎります。しかし、争いの愚かさ、無意味さを説いたものであればこの印象は映画の方向性としてはそれほど反れたものではないなとも。多くの命が失われ、残るものは何も無いのが争いであれば、多くの労力、金、時間をかけてそれほど得るものが無かったのがこの作品。まぁ皮肉を言っても何にもなりませんが。


それにしても、"青の森"と"赤の砂"とでも言えば良いでしょうか、リドリーらしい映像美は大変良かったです。また、「Nothing. ...Everything!」この台詞もすばらしい。全てがここに収斂しているように思います。聖地自体に意味は無く、しかしそこには人々の喜びと、感謝と、安息、と慰め全てががそこにある。そういった信仰の本質のようなものと、この争いが争いのためのそれであり、無為なものであったという二重の意味を含蓄したものだったのでしょうか。まさに壮大にして空虚な争いを締めくくるのにふさわしい言葉かと。

洋の東西、人種を超え、また時代をも問わず今もあり続ける普遍の人間強さと弱さが宗教。多くの人の血を吸った地は今も聖地としてそこにある。信仰とは何か。争いとは何か。それを考えさせられる作品でした。




余談ですが、"Nothing"と"Everything"の間に入るとしたら"And"だと思うのですが、いたるところで"But"と書いているところが。どっちが正しいのでしょうか。まぁどうでもいいですか。
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by nothing_but_movie | 2005-05-31 13:13 | Movie(K)
名は体を
a0008075_11241871.jpg2005/5/28 VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズ

「Ladder 49」(「炎のメモリアル」)
(2004米)


監督:ジェイ・ラッセル
脚本:ルイス・コリック
出演:ホアキン・フェニックス、ジョン・トラヴォルタ、ジャシンダ・バレット、ロバート・パトリック、モリス・チェスナット


迫力のあるシーンはそれなりに当然あるのですが、構成が単調で終始淡々としていてどうにも精神的に疲れる感じでした。さらに、その構成のお陰ですぐに最後を予想できてしまったのが疲れをさらに助長した原因かとも。しかし緩急のメリハリはしっかりしていたので変な中だるみ感はなく、それなりに見れる作品ではあったなと。ある意味映画の教科書的な作品とでも言うと聞こえは良いでしょうか。かなりストレートな作品で、役者もそれなりですので夏休みとかGWあたりに公開すればもう少しは興行収入が上がっただろうと個人的には思いますが。

唯のチーム名が「炎のメモリアル」に変えられるあたり、なんとも日本人受けしそうな湿った感じが個人的にはあれだなとは思っていたのですが、彼等の勇気と犠牲の上に社会が保たれていることや、ある意味家族ぐるみの献身といったものが印象的だったこと、そして何より映画の構成自体を鑑みるに、当たらずも遠からず、それなりに焦点が絞られた良いネーミングではあったなと。
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by nothing_but_movie | 2005-05-30 11:34 | Movie(L)
いつものとおり
ひとまずまた月曜日が来たということで、いつものとおり平穏無事で退屈この上ない日常の再開を認識し、今週も淡々と過ぎ、早く週末が来ることを願いつつ、週末を振り返るわけです。

「ミリオンダラー・ベイビー」
「炎のメモリアル」
「キングダム・オブ・ヘブン」
「ブルー・レクイエム」
「ワンダーランド」

「ミリオンダラー・ベイビー」は素晴らしいできでした。「ワンダーランド」は全国で公開されないのが不思議なくらいの良作。今週末はこの2作品につきます。
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by nothing_but_movie | 2005-05-30 10:04 | 雑記
エンターテイメントを撮りたければ映画を。ほしければ同じく映画を。
a0008075_16283217.jpg2004/12/17 VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズ



「Shattered Glass」
(「ニュースの天才」)
(2003米)



監督・脚本:ビリー・レイ
出演:ヘイデン・クリステンセン 、ピーター・サースガード 、クロエ・セヴィニー 、スティーヴ・ザーン 、ハンク・アザリア


金曜日に急遽呼ばれた"季節行事"に申し訳程度に顔を出し、ぎりぎりで駆けつけたのがこの作品。結構前から見ようとは思っていたのですが、諸事情など重なり結局公開がそろそろ終わりそうな先週末にやっと足を運ぶことができました。

この話をストレートに見てしまえば、描かれているものは規模は違えど、日本でも毎日のように起こっている問題なわけですから、いまさら感も間々あるわけです。が、しかし改めて描かれてみるとやはり興味深いというかなんというか、所詮人間は理性や論理ではなく、慣習や、よりひらたい言葉で誤解を恐れずに書くなら思い込みの中に生きているのだなと思いました。

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てな文章を少し書き、今の今まで放っておいた、否、正確には忘れていたのですが、最近あった似非国営放送の件の事件を見てふと思い出したしだい。


人のことは知ったことではない。家はウチ。他所はヨソ。そういう言い回しがあるにもかかわらず、なぜか今の世の中はヒトサマの情報に溢れておりますが、そもそも報道とは何のためにあるのかと言うことを考えなくてはいけないと思うのです。実際に一般の人間が世間の情報をどこまで必要としているか。私が思うに、ほとんどの人は現在垂れ流されているほとんどの情報を必要としていないはず。「否、大きな電車事故のようなものは全国民に知らせ、原因の究明、再発防止策の策定を衆目監視のもとで行わせるべきダ!」とおっしゃる方もいるかもしれませんが、そんなものは大変不謹慎で失礼ですが詭弁です。ほとんどの場合事実の究明とその後の糾弾に終始し、それが一巡した頃には次のニュースが我々を魅了しており、その後の展開は極限られた方しか関わらない場合がほとんどのはずです。これがいいことか悪いことかは私は判断しませんが、現実はそうなっているのです。

つまり今日の報道はその本来の役目よりも唯単に、平穏無事、波風無く、起伏に乏しく、淡々と円環のように続く下々の日常に、稀に起きる非日常的な情報を提供することで仮想の起伏を作っているに過ぎず、つまりは映画と同様にエンターテイメントとして存在しているのです。つまり人が根源的に求める快楽を供給しているのが報道であり、そう考えれば過剰な情報量も納得できます。この考え方に倣うならば、関係各位にとっては迷惑極まりなく、重大な事なのは重々承知しておりますが、それ以外の人にとっては今回の事件も、この作品で描かれた事も何も驚くことでも重大でもなく、むしろ正常な流れであり、意識していないにせよ求めているものそのものだなと思えます。

人間の世界認識は現在はテレビやWebや新聞に大部分が支えられ、それには常に発信する側の思い込みや意図が含まれているものであり、それをある程度容認せざるを得ないのが現実。その容認できる範囲を何処までにするかについては検討しなくてはいけませんが、一方で事実か否かを判断する材料はほとんどの場合情報を受ける側には無いため、事実として知らされればそう認識してしまうわけです。件の番組に「感動した」との感想を寄せた人はまさにその思い込みや意図が作り出した虚構の世界を現実として受取ってしまった人なのです。同様なことは大小問わなければ現実にいくらでも起こりえるわけで、事実毎日起きており、すなわち誤解を恐れずにひらたく書くなら、私達は思い込みの中に生きているのです。

報道は事実の伝達という主に報道側が作ったエゴと、潜在的な民衆の"エンターテイメント"の要求に板ばさみになり病んでいる。病的な彼の描写は今の報道そのものなのです。
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by nothing_but_movie | 2005-05-27 16:41 | Movie(S)
見境なく、際限なく
最近酒を飲むと際限が無いと言うか、見境が無いと言うか、早くも無く、遅くも無いそれなりの時間に呑みに行って、ビールをジョッキで8杯、キリが良くなるからとマッカランをダブルのハイボールで2杯飲むといった行為は、少なくとも私の中では本来次の日が休日の場合にのみ行われる行動であって、間違っても昨日のような翌日普通に業務に取り組まなければならない日に取る行動ではないですよ。と自分に改めて言い聞かせつつ、今日の呑み会では飲み過ぎないよう誓いつつ、いつにもましてけだるい午後を過ごしております。

気付けば今週も既に終わり。先週はデカローグに費やしましたから、今週はそのために後回しになってしまった作品をどばどばと鑑賞する予定。

「ミリオンダラー・ベイビー」
「ザ・インタープリター」
「ブルー・レクイエム」
「炎のメモリアル」
「キングダム・オブ・ヘブン」
「クローサー」

と思ったら意外とたくさんあるようですね。
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by nothing_but_movie | 2005-05-27 14:51 | 雑記
律儀で在りながら変則
a0008075_13152025.jpg2005/5/5銀座シネパトス


「Cabin Fever」(「キャビン・フィーバー」)
(2003米)


監督:イーライ・ロス
脚本:イーライ・ロス、ランディ・パールスタイン
出演:ライダー・ストロング、ジョーダン・ラッド、ジェームズ・デベロ、セリナ・ヴィンセント、ジョーイ・カーン



まぁやはりホラー映画は笑えるのが一番てことで久しぶりのホラーヒット作。まぁこの作品をホラーと呼ぶかどうかは怪しく、スプラッターにもスリラーにも見えないことも無いのですが、一番落ち着きがいいのはやはりホラーでしょう。最近は必要以上に"生っぽい"というか、"湿っぽい"キャラクターがもてはやされ、和製ホラーブームといわれて久しいですが、私としてはそれらに"気持ち悪さ"は感じても、作品自体は非常にお粗末なものが多いという印象を持っており、自称ホラーファンのくせにどうにも乗り切れていなかったのが正直なところ。そんな折にこの作品が出てきたわけで、これには非常に救われた思いがしました。


何が面白いと聞かれてもあれなのですが、ホラーとしては特に"恐怖感"をあおるような描写は無く、最近の"和製"の方が怖いという向きもあるのでしょうけれども、私に言わせればあれはやはり"生ごみ"的な、すなわち腐ったものを見たら生理的に気持ち悪くなるのと同じで、そういう意味では現代のホラーといわれる所謂"和製"はある意味健康的で分かりやすく、怖いもの見たさ、所謂好奇心の延長に位置づけられる"楽しさ"しか提供していません。言い換えるならテーマパークの"お化け屋敷"、あるいは"見世物小屋"のそれ、"犬猫の死体"と同列に位置づけられます。では逆に不健康なホラーとはいかなるものかといえば、私としてはやはり80年代頃の、アメリカのホラーだろうと思っているのです。そこには差別、隔離、不可避、不条理といった人間の根本に潜む恐怖を描いている作品が多く在り、さらに"情"がありません。しかしこの"情"が無いところが"恐怖"を乾燥したものにかえ、それがゆえに滑稽に見えて笑えてしまい、まさに"映画"として楽しめるのです。"恐怖"を描きながら"楽しい"。このような感覚は一般人なら普通は持たないはずでつまり不健康なのです。しかし"エンターテイメント"はそこにこそ潜んでおり、そしてそれがホラーを"映画"として認識する瞬間なのです。

しかしこの"滑稽"と"恐怖"の微妙なラインを行くのは非常に難しいわけで、一歩間違えば"コメディー"になる可能性を常に含んでいます。残念なことにこの微妙なバランス感覚を持った作品は昨今では非常に稀になり、折につれ触れていたように往年の人気ホラーシリーズは軒並み"コメディー"に転向する有様。そこへいくとこの作品は非常にバランスが良く見ていて気持ちが良かったなと。

さらに注目すべきはそのストーリー。これまでありそうでなかった所謂お約束を踏襲しつつもそれを少しずらしてある変則ストーリーは、それほど凄いことでは無い気もするのですが、しかし膠着、縮小傾向にあったホラー映画にとっては非常に注目に値します。森、小屋、カップル、雨、怪しい店主、警官等など、ホラーでは腐るほど出てくる、そして実際に腐る描写も多々ある常套小道具達の用いられ方が、この作品ではお約束から微妙にずれています。例えば、非常に有名な例で言えばホラーで最初に死ぬのは最初にSEXを始めたカップルと相場が決まっているのですが、これは違います。そういう微妙なずらしがそこここにあり、そしてそれもなかなか微妙なずらし方で、日本的にいえば"温故知新"を感じます。また、ホラーにしては律儀に思えるほど、各登場人物たちの最期にそれぞれ理由があり、それなりの哲学を感じました。


総じて非常に面白い。ピーター・ジャクソンの「素晴らしい!最高!ホラーファンは長年こんな映画を待っていた!」にも其の通りと少し気に食わない面もありますが頷けてしまいます。少し気に食わないといっても作品への評にではなく、「指輪・・・」を撮りだして以降のジャクソン氏に同意するのが気に食わないと言うことなので誤解無きよう。また、タランティーノの「イーライはスプラッター映画の未来そのものだ!」にも至極納得。独特のセンスを感じさせる彼の次回作は非常に楽しみです。
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by nothing_but_movie | 2005-05-26 13:21 | Movie(C)
追いつけ追い越せ
どうにも仕事に集中できないとうか、集中するべき仕事がないと言うか、いずれにしてもここのところ昼間の時間は無為に過ぎているなと思うことがしばしば。暇に感けてWebを見たり、駄文にもならない短い文字列を書いては消して書いては消してと、まるでオフィスを自宅の書斎のように使ってしまっています。これで窮しないだけのお金をもらえてしまうのですから胡散臭いですが、良い商売なものです。

一方でこんな生活に危機感を覚えている部分もあったりして。そんな感覚がより強まったのも、先日あった呑み会の席で、同期がおよそ$0.2Mの所謂ヘッドハンティングを断って今の職を続けていると言う話を聞いたがため。そこまで今の仕事に満足しているのかと感心するとともに、ここまで大差がつくと「追いつけ追い越せ」みたいな所謂やる気が起きるよりも自分の身を恥じいて彼とは別の道を模索したり、聞かなかったことにするくらいしかできないわけです。

そんなこんなで無為に時間を垂れ流し、来たるべく更なる差を認識するその瞬間に向け、現実逃避を進める今日この頃。垂れ流した時間に見合う逃避距離を如何にして実現するか、これが今現在の課題であったりします。時間に「追いつけ追い越せ」みたいな感じですが、これは余りやる気を起こすべき物ではないことは分かりきったことです。
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by nothing_but_movie | 2005-05-26 11:10 | 雑記
神の業と人の業
a0008075_16503695.jpg2005/5/21,22ユーロスペース


「DEKALOG」(「デカローグ」)
(1988ポーランド)


監督:クシシュトフ・キェシロフスキ
脚本:クシシュトフ・キェシロフスキ/クシシュトフ・ピエシェヴィッチ
出演:クリスティナ・ヤンダ/ダニエル・オルブリフスキー/ズビグニエフ・ザマホフスキー


敬愛するキューブリックがそう言ったのであれば。そんな思いで昨年アップリンクで購入した「デカローグ」のDVD。1、2話で圧倒され、3、4話で考えさせられ、5、6で引き込まれ、7、8話で悲観にくれ、9、10話で希望を見つける、そんな感じの連作。もともとはポーランドのテレビ映画として製作されその後世界で公開され、キューブリックをはじめさまざまな人へ影響を与えた名作。いつかは見れると思っていましたが、まさかこんなにも早くスクリーンで見れるとは思ってもいませんでした。

と、言いつつも、恐れ多くも10話をそれぞれ短評の形でレビューしたりして。と言うのも1時間と言う枠に収めたがため各話の密度、完成度はともに非常に高く、それでいて不足が無いわけですから、正直圧倒されて言葉も出ないのですよ。神が創ったのがバイブルであるならば、これは人が作ったそれ。神業的な完成度を誇るこの作品はある意味財産として私の中に残ることでしょう。



第1話 「ある運命に関する物語」
「Thou shalt have no other gods before Me」
(あなたは私の他になにものをも神としてはならない)

科学信仰による神の存在の否定による、逆説的な神の肯定。


第2話 「ある選択に関する物語」
「Thou shalt not take the name of the Lord thy God in vain」
(あなたはあなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない)

コップの淀んだ液体から這い出す蜂を描いたシーンから続く一連のシークエンスは特に見事。因果応報、神への信頼。


第3話 「あるクリスマス・イブに関する物語」
「Honor the Sabbath」
(安息日を覚えてこれを聖とせよ)

孤独を感じる夜に、温もりを求めるための些細な嘘と、最後に訪れる真実の告白。人間の弱さと寛大さ。これらのコントラストの妙。


第4話 「ある父と娘に関する物語」
「Honor thy father and mother」
(あなたの父と母を敬え)

母の不在と、娘が持つ父への絶対的な信頼による幼いがゆえの同調と父の迷いによるエレクトラ・コンプレックスの再現。エレクトラ・コンプレックスは一般に"娘"が持つものだが、作品中の父の真意、娘の思いを深読みするとキシェロフスキーはその定説に異を唱えているように見える。非常に興味深い。


第5話 「ある殺人に関する物語」
「Thou shalt not kill」
(あなたはなにものをも殺してはならない)

人が抱えた矛盾。原罪以上に罪深く愚かしい人への警鐘。スコセッシの「タクシードライバー」、フォントリアーの「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を想起する。


第6話 「ある愛に関する物語」
「Thou shalt not commit adultery」
(あなたは姦淫してはならない)

大人の世界への憧れと恐れを覗きという行為にたとえる。落ち着きつつも、短い青春。少年から青年への成長。


第7話 「ある告白に関する物語」
「Thou shalt not steal」
(あなたは盗みをしてはならない)

一時的な欲を満たしたがための、永遠の後悔と不幸。利己的な人間の一面を無垢な子供を対照として描く。


第8話 「ある過去に関する物語」
「Thou shalt not bear false witness」
(あなたは隣人について、偽証してはならない)

贖罪的な日常生活の裏にある、罪悪感から生まれる潜在的な脅迫観念を描く。


第9話 「ある孤独に関する物語」
「Thou shalt not covet thy neighbor's wife」
(あなたは他人の妻を取ってはならない)

劣等感とそれに抵抗するかのように現れる一種の退行。些細な劣等感からくる捻じれた愛情と、一時の気の迷い、別れ、邂逅を描く。


第10話 「ある希望に関する物語」
「Thou shalt not covet thy neighbor's goods」
(あなたは隣人の家をむさぼってはならない)

歌が全てを物語る。些細なものへの愛。全ての愚かしさの肯定。人間の愚かしくも愛すべき日常。
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by nothing_but_movie | 2005-05-25 16:54 | Movie(D)
諦めという名の未来において
a0008075_0402592.jpg2005/5/15東劇



「Butterfly Effect, the 」
(「バタフライ・エフェクト」)
(2004米)

監督・脚本:エリック・ブレス 、J・マッキー・グルーバー
出演:アシュトン・カッチャー 、エイミー・スマート 、ウィリアム・リー・スコット 、エルデン・ヘンソン 、メローラ・ウォルターズ




所謂時間ものの良作がなかなか無いのはやはりその整合性を得ることの難しさに起因するのでしょう。その難しさを克服していたかどうかは良く覚えていませんが、作品として非常にインパクトがあり記憶に残っているのがゼメキスの「Back to・・・」、そしてあえてもう一つあげるとするならTNGテレビシリーズの最終話でしょう。まぁ後者については昨年あたりに公開された「STX」が見事にこの秀作を無視した話を展開してくれましたが。

この作品について言えば、難しさの克服と言う点では多少なりとも粗はあるわけですが、しかしそれを気にさせない作品の展開には非常に目を見張るものがありました。これ程作品にひきつけられたのは久しぶりなのではないかと。良く観れば製作陣は非常に豪華。個人的に評価の高い人たちが監督の周囲を固めているようで、妙に納得してしまう感じです。


この作品の根底に流れているのは、"時間を支える記憶"、あるいは"記憶によって成立する時間の流れ"すなわち、記憶という脳機能そのものが時間の流れをつかさどっているという考え。なるほど確かに時間軸に沿った空間の認識という機能が備わっているからこそ時間の概念は生まれるわけで、もし認識されていない時間すなわち失われた記憶があればそれをどうしようと、認識機能に依存するわけです。とはいえやはり人間は空間にも支配されているわけで、それがゆえに時間旅行は制限を受けざるを得ないのです。その結果、精神的な時間旅行はいともたやすく可能ですが、それは空間から切り離されており、その旅先で何をしようとも実空間に影響を与えることが無く、つまり所謂空想、あるいは回顧や懐古になってしまうのです。

この作品で空間を伴う時間旅行が可能になった彼が当初とった行動は"回顧"による未来の改変。ところがその目論見は上手くいかず、次第に"未来"への"懐古"的な思いを元にした過去への"回顧"へと、本来人がとるべき行動とは完全に逆の変遷を示します。つまり彼の視線は次第に未来へではなく、過ぎ去った過去に集中していくのです。しかしそれもどうにも上手くいかず、最終的に残された選択肢は、決別と言う名の彼女への思いだけだったわけで、それには諦めと犠牲と言う言葉が見事に当てはまるのですが、それこそが彼の時間を未来へと進める決定的な要素となっているあたりが、当たり前の帰着ではありますが皮肉であり、非情であるなと。

皮肉あるいは非常であろうともそれこそが人間に与えられた唯一の選択であり、現実なので、仕方がないと言えばそれまでなのですが、もしこの"非情で皮肉な現実"を変えようとするなら、その手段は記憶の保持と言う機能そのものの廃棄しかなく、それこそ無味乾燥であろうなと。あるいは少し前に上映されていた「エターナル・・・」のような方法もあるかとは思いますが、それはそれでまた未練がましく、滑稽だったりしてどうにも始末に悪いように思われます。つまり記憶は傷をつくる場合も確かにありますが、それにも増して成長や進歩をもたらしてくれるものとして我々に備わっているということでしょうか。これもまた当たり前の帰着ですが。


人一人が持つにはあまりにも長く永遠ともいえるような過去と、可能性としての未来の記憶、それに大きな思いと苦渋の決断を封入した頭蓋を戴き、諦めという名の未来を生きる彼。偶然彼女を見つけることで再び時間の流れは変わろうとするかに見える。しかしながら流されることなく、決断を覆すことなく、その大きな思いを胸に彼は彼女の背中を見送る。そして彼女とは間逆に、遠ざかるように前へと進む。あまりに象徴的で印象的であり、さらに非常に感傷的。しかし"諦め"から導かれた未来でありながら寸分も悲観的ではないシーンでこの作品は幕を閉じるのです。
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by nothing_but_movie | 2005-05-24 00:47 | Movie(B)
10時間を乗り越えて
なんだかんだ行っても時間的に意外とにつらいと思っていた「デカローグ」も終わってみれば意外とあっけなかったというか、上映時間が昼間と言うこともあり土曜に8話、日曜に最後の2話を無理なく鑑賞することができました。DVDで何度か見た作品もあったのですが、やはりスクリーンでは雰囲気が変わりますね。

そんな感じで今週末は

「デカローグ」
「ベルンの奇蹟」

の2作品。
「デカローグ」はやはり非常に濃密。
それに比べて後者の作品は非常に軽薄。ありきたりな展開を支えるためには理由など必要ないですから、軽薄にしかなりえないのでしょう。ひとまず思ったことを羅列。作品全体の雰囲気と言うか、トーンに統一感が無い。笑いなのかそうでないのか良く分からない中途半端なシーン。何を言いたいのか良く分からないシーン。なぜそうなるのか良く分からない。掴みどころの無い人物達。非常に見ていて疲れる。特に後半はひどい。演出もひどい。特に試合のシーンはどうやったらあんなに不自然なものを人に見せれるのか甚だ疑問。近年まれに見る駄作。
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by nothing_but_movie | 2005-05-23 10:01 | 雑記