否、骸骨は関係ありません
2005/10/15 新宿TOKYU MILANOビル


「Skeleton Key ,the」


恐らく最も一般ウケすると思われるこの作品。定番な展開で、オチも真相も中盤までで大体分かってしまいますが、作品全体は非常に丁寧なつくりで自然とその世界観に入り込めます。と言うよりは、そういった世界観に入るまでが重要な作品。

残念ながら劇場公開は無く、ストレートにVideo、DVDリリースになってしまうようですが、時間があれば、さらっと見るには良いでしょう。

気になるのがタイトル。もう少し捻らないと作品自体に深みが無いのでネタバレな印象。これのおかげで真相がある程度推測できてしまうのが残念。そしてさらに気になったのが上映直前の煽り。あまりにも大げさなおかげで、かまえてしまったのがなんとも残念。気を抜いてみていればもう少し後半は翻弄されていたかもと思ったり。

そういえば隣に座っていた方が終演後一言「骸骨出てた?」
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# by nothing_but_movie | 2005-10-18 23:57 | Movie(S)
結局明日からなのですが
さてそれにしても、今更驚くことも言うまでも無いとは思うのですが、時間と言うのはやはり止まるということ知らないようで、いつの間にやら10月も後半。まぁそんなことにいくら感心していても仕方が無いのもまた、言うまでも無くと言ったところですが。

さて、
先々週の話から始めれば、と言っても先々週は週末も仕事に忙殺されて映画鑑賞は出来ず。久々に休んだ気のしない週末を過ごしてしまいました。単に仕事が忙しかったというのもありますが、それよりもなによりも、今週末、否、正確には既に先週末ではありますが、を有意義に過ごすという珍しく、前向きで健康的な発想のため。で、その正しくは先週末とは、つまり言うまでも無く、「ファンタ」のことなのですが、で、あまり回りくどく書いても仕方が無いことなので結論を急ぐと、先々週の努力が報われてか、今週末は有意義に過ごせ、鑑賞した作品は5本。今年は残念ながら定番のホラーナイトが無く、似たような位置づけの作品が昼間にやっていましたが、その3本と、最終日に2本を鑑賞。

「Skeleton Key,the」(「スケルトン・キー」)
「Cursed」(「カースト」)
「House of Wax」(「蝋人形の館」)
「Freeze Frame」(「フリーズ・フレーム」)
「Night Watch」(「ナイト・ウォッチ」)

以上のような感じ。明日から短評で5本を書ききって、気が向けばTIFFにでも。とは言っても去年よろしく、そちらはチケットも用意していないわけで、どうなることやらと言うか、既に結論は出ていると言うか。

それにしても去年のホラーナイトに気を良くしたのか、調子に乗ったのか知りませんが、ホラーをオールナイトではなく、昼間に単体でやるとは、ファンタも強気になったものです。それが一般に良かったのか、悪かったのかは私には分かりませんが、個人的には少し残念な印象ではありました。
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# by nothing_but_movie | 2005-10-18 02:01 | 雑記
善は急げ
と、早速東京国際映画祭のチケットを購入。しかしとった5作品の内、4作品が全てスクリーンから数えて1桁の席になった模様。うーん、製作関係者とかのステージ挨拶が目当てならまだしも、映画にしか興味が無いのにこんな席では、今から見る気がそがれるというかなんというか。ま、今となっては致し方ないことですが。
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# by nothing_but_movie | 2005-10-04 00:56 | 雑記
仕事に忙殺されて
というわけではないのですが、仕事が予想に反して難航中。そりゃ、リストラに直結するような話であれば、当然の抵抗を受けているだけといえばそのとおりですが、あまりにも唐突、断固としたその姿勢に翻弄されて、先週の連休が嘘のように、今週末はさほど休む間もなく過ぎ去ろうとしております。

さて、そんなこんなで、先週から放置していたわけですが、とりあえず先週見た作品は

「ヘッドハンター」
「プライマー」
「STOMPの愛しの掃除機」
「娼婦たち」

の4作品。

連休初日の金曜日。昼間からTNGを見ながら飲み始めたスコッチはいつの間にか空に。8割ほどは残っていたと思ったのですが、どうにも自宅で飲むと歯止めが利かないというのが、昔からの悪い癖。ここ数年、自宅ではあまり酒は飲まないようにしていたのですが、ついついとまらなくなってしまった感じ。おかげで気づけばフラフラ。それでも電車を使わず○○○で移動するあたり自分でもどうかと思いますし、先週警察の方々から青い紙切れをもらったばかりのわりに大それた行為ではありましたが、他人様に迷惑もかけず、無事に銀座についたのでなかったので当然時効でしょう。ということでレイトショーで1作目を鑑賞。ノンストップ系とサイコ系を足して2で割った感じで、さらに舞台はビジネス界というユニークな作品。有能な人的資産を獲得するためにここまでやるという発想自体はユニークで、皮肉な感じですが、後はまぁ普通な感じの作品。

その後一度は無事に帰宅したのですが、どうにも落ち着かなくて知人に連絡してみると仕事が終わるとこというので、合流して知人宅へ。とはいってもいい加減酒が抜けてきてちょうど眠くなってきた感じだったので、到着直後に睡眠。何しにいったんだかって感じですが。

土曜は前日の酒のおかげで体調最悪ではありましたが、渋谷にでて「プライマー」を。難解な仕上がりではありましたが、なかなか面白い。というか単にタイムパラドックスを描いているだけですが、タイトルが作品自体を上手く表現していますね。発端は2人の片割れ1人。それがDNA複製のPCRの際に用いるプライマーの役割を果たして、理論上無限に2人が増殖していくということを現しています。その無限増殖の結果、本来なら存在する時間が異なるはずの同一人物が、現在という同一の時間の中で、それぞれ異なった役割を果たすことで、一つのストーリーを紡いでいます。つまり、この作品は始まった時点、すなわち"現在"で全てが完結しているはずで、それを観客にわかりやすいように再構成したものであるのです。そしてこの無限に続く現在の複製の連鎖を防ぐためというか、そこから抜け出すためには、タイムマシンの使用をやめることであり、それはつまりプライマーを取り除くこと、すなわち殺人であったり、逃亡であるようです。なんにしても二日酔いの集中力ではこれが限界。もう一度くらい暇を見つけて見たい感じです。というか映像の雰囲気、音楽も良く、そして何よりも静かなこの作品は無限に同じような日常を送る私の部屋で常に垂れ流しておくにはぴったりな作品ですね。

で、次に「STOMP・・・」を鑑賞。うーん。音楽を前面にだひているシーンは良いのですが、映画としてはどうにも中途半端。やはり彼等は映画ではなくパフォーマンスを単体で楽しんだほうが良さそう。とはいっても映画でなければ、見ることは無いと思いますが。

最後の作品は日曜日に。まぁ面白いんですが、どうにもインパクトが少ない感じ。なんとなく想像の範囲内の話がただただ淡々と述べられているに過ぎない印象。


以上でやっと先週を振り返りが終了。今週は

「シン・シティー」

を土曜に鑑賞。久しぶりの新宿オールナイト。タランティーノ色が強く出ている感じでしたが、Guest扱いになっていたような。まぁそんな細かいことはどうでも良いのですが、見た直後の感想としては、死に彩られる人、あるいは死に彩られる町。そんな感じ。入れ替え制の映画館ではないので、続けてもう一度見ようかとも思ったのですが、遅い時間でしたし、冒頭に述べたような状況でしたので断念しました。

そういえばもうすぐファンタと、それに続く映画祭の時期。チケットを早く取らなくてはいけませんね。
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# by nothing_but_movie | 2005-10-02 21:30 | 雑記
リビングデッドに花束を
a0008075_22511434.jpg2005/8/27 新宿東亜興行チェーン




「Land of the Dead」(「ランド・オブ・ザ・デッド」)
(2005年アメリカ/カナダ/フランス)


監督/脚本:ジョージ・A・ロメロ
出演:サイモン・ベイカー、デニス・ホッパー、アーシア・アルジェント、ロバート・ジョイ、ジョン・レグイザモ





ゾンビを人類生存のために只排除するべき存在として映画に定着させたのも彼であるならば、その存在意義をさらに高めたのも彼であったと。この映画はその点において、他のゾンビ映画と一線を隔しているのですが、しかしながらなぜ今になって彼等の産みの親であるロメロがそのような選択に至ったのでしょうか。ゾンビに"生の否定"と同時に"生への執着"という特質を与え、完全に人間と対立する存在として彼等を創ったロメロのこの心変わりは、往年のファンには違和感を覚えざるをえない点であり、その点について否定する気は全くありませんが、しかし思えば、生の執着こそ人の特質であり、その意味では元々ゾンビと人間は非常に近い存在であると言っても過言ではなく、だからこそ、その特性を生かした作品を創る必要があったのではないでしょうか。

ゾンビは通常、結果はどうであれ有無も言わさず排除される存在であり、且つそれが唯一の存在理由であり、またゾンビ映画の唯一のストーリーだったハズです。しかし、この作品は冒頭で、この基本であり唯一の選択肢を捨ててしまうという、極めて冒険的な展開を見せます。ではその古典的定石の代わりにこの作品は何を描いたのか。結論から言うと、二十重に張られたヒエラルキーの上層への反感という縦糸のもと、ニューヨークを思わせる、3辺を水域に囲まれた人類最後の都市を舞台にバトルロイヤルを展開し、そしてそこにテロや、差別、貧富の差、権力の腐敗、絶対的な身分等など、およそ思いつきそうな社会風刺を取り入れたと。まぁそんな感じで、ゾンビ映画にして社会派な仕上がりを実現したわけです。グロさも抑え気味で、結果的にそれなりに一般ウケする作品に仕上がっています。

しかし此処で終われば凡作。只ゾンビが真面目にゾンビらしく振舞うだけの映画など今更、求めている人がいるはずも無く、そんなことはロメロであれば十分知っているはずです。従ってロメロは何かを仕掛けているはずで、私はそれは"ゾンビ≠人間"という式の転換、つまり"ゾンビ=人間"を成立させることにあったのではないかと思っています。


今回の作品では彼等は人間の社会と断絶せず、そのヒエラルキーの最下層に位置し、常にささやかな生活を脅かされる存在として描かれました。ヒエラルキーの上層には平凡な人間が平凡に"エサ"として存在し、その上にはその"エサ"を喰らう権力を持った人間が、そして平凡な人間と、権力を持った人間の生活を支えるために、傭兵が存在します。傭兵は生活を保障されておらず、ヒエラルキーのなかではゾンビに一番近いところに位置しており、その中には当然、与えられた任務の重要性と危険性に比例しない待遇から、権力に対する反感が生まれてくるのですが、それはゾンビが持つ、ゾンビの存在を全否定し、生の権利を振りかざす人間への反感と、ベクトルが一致するのです。さらに、今回はゾンビには知性が与えられたのですが、実際彼等がやっていることは知性が無いときとさほど変わらず、取り立てて役に立っていないと言えばそれまでですが、敢えて役に立っている点をあげるとすれば、それは人間を襲うという行為に明確な動機と意思を感じさせたこと。それだけではありますが、しかしその明確な動機と意思を感じさせるということが、今作において非常に重要な、"ゾンビへの共感"をつくるための素地になっているのです。

ヒエラルキーの上層に対する反感は、スクリーンの外にも存在するのは言うまでもなく、その構造をデフォルメしてスクリーン内部に表現すれば、観客が下層にいる傭兵に共感するのは至極あたりまえの話です。そしてそれはそのまま、意思と動機を感じさせ、同じベクトルの感情を持ち、人間を思わせるゾンビへと転嫁することが出来るのです。そのため、観客は反人間であるはずのゾンビに知らないうちに共感させられるのです。この作品において、"ゾンビへの共感"は前述のように非常に重要な意味を持っており、この作品の根幹を支えるものです。そのためロメロは非常に慎重に、"ゾンビへの共感"を生み出すための構造を作り出します。


タイトル「Land of the dead」の"Land"は何処を指すか。もちろん社会風刺を十分すぎるほど取り入れているこの作品の舞台が、この世界そのものであることに疑う余地はありません。ではそこをうごめく生ける屍とは何のことか。もちろん現実にゾンビなどはいないのですから、この地を埋め尽くしている"人間"以外にありえません。このことは、生きる目的を感じさせず、日々黙々と喰らい、増殖を続け、数あるいはその力によって、弱者あるいは少数からの搾取を続ける"人間"が、数十年前にロメロが描いてきたゾンビ像と見事に重なることを考えれば妥当な帰結だと思います。つまり、今の"人間"はゾンビと同じようなことをやっていると言う点で、ゾンビと本質的にはさほど変わらないのです。さらに、今作でゾンビが人間寄りに進歩したことによって"ゾンビ=人間"という等式は限りなく成立に近づきます。このような状態では、単にゾンビを排除しただけでは「Land of the dead」の世界は終わりを告げません。これを変えるため、つまり本質的な生きる屍を排除し、この死の世界を終わらせるためには、ゾンビと同じ様に腐敗しきった"人間"を変えるしか選択肢がありません。そのためロメロは、"人間"の醜さを描き出し理解させ、変化へのきっかけを与えようと考えたのではないでしょうか。

以上のように考えたとき、今回唐突に与えられたゾンビの知性の意味と、それと同時に、最後に打ち上げられた花火の意味が導き出せます。あの花火は、例えば安直にエンディングをなんとなく派手にしたいから上げられたものでは、当然ありません。ゾンビにはあまりにも不釣合いでありながら、作品の冒頭から強調されるあれは何か。恐らくこの作品を創る際にロメロが意識したのは、彼がゾンビを生みだすおよそ10年前に、無知な存在に知性を与え、その視座から世間を捉えせることで、人間の本当の姿を浮き彫りにした、ダニエルキイスの作品ではないでしょうか。だとしたら知性を与えられた彼等はアルジャーノン。最後に打ち上げられた花火は彼らに捧げられた花束と言うことになります。
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# by nothing_but_movie | 2005-09-21 23:04 | Movie(L)
非情の中に幸せを感じて
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2005/08/20 シャンテ・シネ


「5X2」(Five times two)
(「ふたりの5つの分かれ路」)
(2004年フランス)


監督:フランソワ・オゾン
脚本:フランソワ・オゾン、エマニュエル・ベルンエイム
出演:ヴァレリア・ブルーニ=テデスキ、ステファン・フレイス、ジェラルディン・ペラス、フランソワーズ・ファビアン、アントワーヌ・シャピー



この映画で最も印象的なのはやはり序盤。弁護士が出てくるシーンではなく、2人だけのシーン。つまりホテルの部屋でのシークエンス。法的手続きを終えた二人は離婚した夫婦には似つかわしくない、ホテルの一室を訪れる。そこで2人は恋人達がするように、SEXをはじめるが上手くいかない。レイプにすら見える。傍目には駄目押しにすら見えてしまうこのホテルの部屋での出来事の後、部屋を出て行こうとする女に男が「もう一度やり直せないか」と言う。無謀にも程があるようにも感じるがしかし、恋愛は感情だけの産物で、そこには本質的にルールが無い事を考えると、この一連の出来事は男の最後の望みをかけたものであったことが伺える。

人は恋愛という感情の産物に対して、感情とは対極に位置する法律というルールを持ち込んだ。これによって恋愛はルールによって、終わらせることが出来るようになったかに見えるが、やはりそんなことはなくて、恋愛は感情だけで成立している。例え法律的に離婚しても、ホテルの部屋で上手くいくような2人はその後も上手くいくのだろうし、此処で上手くいかないのであれば、それは完全な終わり以外のなにものでもない。男はこの法律という表面的なルールに隠れているかもしれない、最後の感情を確かめようとしたのではないか。しかしもちろんそんなものは無かったわけで、逆にこの行為は駄目押しとも取れるような惨憺な結果を生むだけっだったりするのですが。


現在から未来の結末はどうやっても知りようがありませんが、現在に対する過去の遠因は探れる、否、探ってしまうのが人の常。"現在"の顛末を知った観客はどうしてもその原因を過去へ求めてしまうのですが、オゾンが用意した映像が果たしてこの"現在"へ直接通じる原因だったかというとそれは明確には語られず、専ら男の視点から語られるこの"過去"の物語は、あるいはホテルに一人残された男の思考のほんの一部を描いただけという可能性も安易に捨てられないとも思えたり、つまりは男が現在の遠因を過去に求め、さらにそこから観客が遠因を推測するという、二重の妄想がそこにあるだけで、じつは彼女が考えていたことはもっと別のところにあった可能性も捨てきれないのでは。

思い起されるエピソードは冷静に考えればいずれも、そこまで深刻な話でも無いような気がしますが、あのような"現在"を見せられてからではどう見ても離婚の遠因に見えてしまったりしてしまいます。それは、一番不幸な現在から遠いはずの最後の出会いのシークエンスですら例外ではなくて、二人が海に向かって一緒に歩みだして直ぐに、日は山の陰へと隠れる。そんなことにまで、あまりに残酷というか冷徹な比喩を見いだしてしまったり。

否、しかし喧嘩で済みそうな話や、日が沈むというあたりまえの現実を映したシークエンスを残酷と呼ぶのだとすれば、全てから同じような比喩がいくつでも見つかると言うもの。しかし仮にそうだとしてもそんな残酷な現実に生きているわりには意外と人は幸せな時間を多く持っているのかも知れない。そんなことを時間だけでなく物語りそのものをひっくり返すのが好きなオゾンは言いたかったのかもしれない。
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# by nothing_but_movie | 2005-09-21 00:40 | Movie(数)
どういうわけかは知りませんが、
そういうわけで、3連休を映画とDVDに費やし、本日から再び3日間仕事をし、何事も無く平和であれば、また3連休がやってくると、これほど気を抜ける1週間てのも1年の中ではあまり無いものですからのんびりする感じで。

そういうわけで、

「Nothing」
「シンデレラマン」
「チャーリーとチョコレート工場」
「シュガー」
「ハードコア・デイズ」

の5本を鑑賞。ナタリはキューブの頃に戻ったうえで、少し丸くなった感じ、「シンデレラマン」は悪く言えば言葉たらず、よく言えば抑え気味で背景を読ませる感じですが、その背景も浅く、表面的な優等生の印象。「シュガー」はまぁあれです。見た後警察に切符を切られたので、心象が悪く。「ハードコア・デイズ」は単純ですが時計を使った心象表現が印象的。とは言っても「ハードコア・・・」よりは「シュガー」の方が全体的に良い仕上がり。そういうわけで、デップとティム・バートンの独壇場の今週末。変人コンビはハズレることを知りません。と言うか、毎回遊び心に富んだ作品をティム・バートンは作りますが、今回はその遊び方が今までと少し違うよう。これほど自分の作品が好きな人だとは思っていませんでした。ジョニー・デップも、最近出た「ネバー・ランド」という最悪の作品のときと比べるのが馬鹿なくらい持ち味が出ていて、非常にはまり役だったのでは。
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# by nothing_but_movie | 2005-09-21 00:26 | 雑記
表は何処に
先週末は

「エコーズ」
「理想の女」

さて、先週末は・・・なんて話しを今さらしても仕方が無いのでやめておきます。今週は月曜日から久しぶりの出張があったりなんだりであっという間に金曜日になってしまったと、そんな感じの1週間。それにしてもこんな誰も知らなくても良いようなことを、誰が見ているかも分からないこのような場所に書いているなんて、余程の馬鹿か暇人かて感じですね。しかし、チラシの裏にでも書いて捨ててしまえば良いような生活を送る、チラシの裏のようにあっても無くてもどうでも良い人間でも、此処ではその存在を他者に示せたりするわけですが。しかし、チラシの裏に何か意味があるかといえば、それはやはり表があっての裏であり、そこに価値は全くなく、表のおかげで存在しているだけであると。つまり私の生活が裏であるならば、その表があるはずで、私の人生はその表に必然的に付随するものであるワケです。では、私の表はどこにあるのか、そんなことは裏からは当然わからなかったりもしますが、差し当たり見つけたとしたら、チラシの裏の人生を生み出してくれたそれを、恨むべきか、感謝するべきか、それを決めておくことにしましょうかね。まぁしかし、表のほうも所詮はチラシと言うことを考慮して、前者よりの後者、傍から見れば卑屈なチラシの裏てのが私には似合っていそうです。

「エコーズ」はそれなりに掘り出し物の感じですが、全体的に薄味。「理想の人」はなかなか楽しい作品でした。
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# by nothing_but_movie | 2005-09-16 01:53 | 雑記
しかし、ただ短ければ良いというワケでもありません
先日同様、やる気も糞もあったものじゃない満員電車に揺られて出社し、既に疲れ果てた感じでPCを起動。程なくすると、つい数ヶ月前まで毎週赴いていた出張先の南の国(否、実際には東京とほとんど緯度が変わらず、イメージの中だけ南なのですが)で一緒に仕事をしていたヒトがメッセンジャーにログオンしてきて、こんな時間に珍しいなと思っていたら、「今日は台風のおかげで仕事が休みになりました」と。「そんなに酷いのですか?」、「今はそれほどでも無いのですが、帰る頃には電車は全て止まるらしいです」なんてやり取りをしながら、なるほど、確かに直撃してしまえばそれこそ交通インフラが麻痺しますから、半端に雨が降るよりも結果的に良いのかも、なんて考えたり。てことで、次の台風はどうか午前10時から、17時に掛けて東京を直撃しますように。と、遥か昔に過ぎ去った幼少の時に聞いた「学級閉鎖」なんて言葉を久しぶりに思い出しながら願ってみたりして、既にあったものじゃないやる気を仕事とは間逆に使ってしまいました。あ、しかし今思えば、学校は1日や2日休みになろうが大した皺寄せはありませんでしたが、仕事は休めばその分だけ皺寄せがあるわけで、うーん、そうすると交通麻痺もやはり中途半端。かくなるうえは某世界の警察の某州のように都市全体が麻痺するように願うことにします。と、不謹慎でした。

で、ここ数日長文が続いているものですから、此処でやめるのも何か足りない気がしてアレなのですが、しかしここ数日の長文に何か足りているかと言えばそうでもないわけで、であれば短いほうが良いというのは必然の帰結ですから、これはこれで良いとしましょう。
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# by nothing_but_movie | 2005-09-07 00:40 | 雑記
私が如何にして週末を過ごしたか
さて、本日も滞りなく仕事を終わらせ、無事帰宅。で、特にやることも無くいつものようにPCに向かって駄文などを綴っているわけです。それにしてもまた台風が来ているよう。先週も来ていた気もしないでもないのですが、まぁ秋が近づいてきているということなので、暑いのが苦手な私としては歓迎すべきことなのですが、雨は基本的に煩わしいだけなのでいただけないなと。別に雨の日には出かけなければ良いだけの話なのですが、悲しいかなサラリーマンはそうも言ってられないわけで、そして唯でさえ嫌な満員電車に乗った日には、やる気も糞もあったものじゃありませんと。天気に文句を言ったところでどうにかなるわけでもなく、そもそも"誰"に対する文句なのかも分からないことをこれ以上書いてもアレなのですが、要は台風と雨なしで秋になってくれ、あるいは雨の日は仕事を休みにしてくれと、そういうことです。

先週の金曜日は普通に仕事、普通に帰宅。と書いておきつつ既に記憶が曖昧。何をしていましたっけ?要は特に記憶に残るようなことも無かったてことでしょう。と書いてから金曜付けの文章を確認。あ、そうそう結局弟に説得されて、母親と食事をしたのでした。弟も同席。この顔ぶれがそろうのは実に数年ぶりのこと。と、世間一般的には揃っても何も意味を持たないない顔ぶれに対して使うには聊かもったいぶった言い回しでした。で、年月の割には話すことも無いので淡々と、黙々と、食事と言う本来の目的に集中し、そのおかげか特に混乱も無く。唯、傍から見れば、妙に緊張感の漂うテーブルだったのは間違いなさそうです。唯一の収穫は年末に顔を見せなくても良い口実を得たと、それくらいでしょうか。

土曜日は連れと新宿で撞球へ。此処半年くらいは久しく行っていなかったのですが、最近は連れに教えがてら週に1回くらいは行くようになり、先日は4時間も。おかげで捻りなんかがだいぶもとの調子に戻ってきたよう。少し前は私も貪欲に練習に明け暮れていたのですが、最近はそこまでの熱意も体力も無く。調子は戻ってきましたが、これ以上は望むべくもなさそう。老いとはつまり上を望まなくなること、すなわち諦めであると、そして最後は目を開けることを諦めると、そんな感じのことを思いつつも、玉を睨んでいたわけです。その後、近くの居酒屋でアルコールを。運動の後の酒は美味いなと。撞球などその他のに比べれば運動量等、高が知れているのですが、普段体など動かさない私にとってはほど良い感じと。

で肝心の映画は日曜日に渋谷で

「クレールの刺繍」
「メトロで恋して」

前者はどうにも薄っぺらい感じ。後者は編集が惨いことになってる感じ。と、肝心の映画の話は1行にも満たない字数で終わってしまったり。これくらいなら書かなければ良いと言う話もあるのでしょうが、此処の目的は私の忘却への些細な抵抗であったりするので、これだけでも私にとっては意味があると。後日レビューを書くのであればこの程度のことは書かなくても良いとは思うのですが、見た直後にこの程度のことしか思わない作品について、あれこれ駄文を並べても非生産的この上ないですから、感じたままをとりあえず残しておこうかなと。

最近作品のタイトルだけがおまけ的に紛れ込んでいるような文章にもトラックバックを頂くことがあるのですが、これは何時まともなレビューが書かれるか分からない、否、書いた頃には既に映画自体が旧作になっていると言うことが往々にしてあるので、とりあえずタイトルが含まれている、私が如何にして週末を過ごしたかといった文章にトラックバックをしとこうと言う事なんでしょうか?トラックバックはありがたいですし、その機能を保持している以上「イヤです」とも「ダメです」ともいう気は無いので存分にしていただいて構わないのですが、一応私もトラックバックを頂いたからには「お返しをしなくちゃ」とか思ったりもするわけで、その際にちゃんとしたレビューを書いた時にしたほうが良いのか、それともそのつらつらと、私が如何にして週末を過ごしたかが書かれている文章をそのまま返せば良いのか、これがさしあたっての悩みだったり。本日のような駄文をそのまま返されたところで、喜ばれるとも思えませんし、かといってレビューを書くことも少ないですから、もらいっぱなしになってしまうことも多いですし、と、まぁ大袈裟に言ってみただけです。
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# by nothing_but_movie | 2005-09-05 23:18 | 雑記